【 赤城高原ホスピタル研修体験記 】   赤城高原ホスピタル

(改訂 16/05/24)


ホスピタル研修体験記 20 「1日研修を終えて -- 当事者間ミーティングおよび自助グループの重要さと可能性」

  私は2016年5月に研修をさせて頂きました。こちらの病院に興味をもったきっかけは、数年前の日本精神神経学会、シンポジウムでの竹村院長の御講演でした。それからしばらくして勤務されている心理士の方とお知り合いになったことをきっかけに、今回病院見学をさせて頂きました。わずか1日でしたが、アルコール依存症の家族教室や、摂食障害の院内プログラムに参加させて頂きました。そしてクレプトマニア(窃盗症)当事者のプライベートメッセージ(40分 × 3人)をお聞きしました。

 まず初めに驚かせられたのがやはり独特な施設の設備でした。外来面接室が多くない入院治療中心の病院構造や、当事者同意の上で冷蔵庫や食堂など設置されている防犯カメラ(それでもやはり物盗りに至ってしまうようですが・・)、そしてプライベートメッセージなどのためにあちこちに用意されているインタビュー室など、今まで見たことがない造りでした。

 次に驚いたのは、クレプトマニア患者に摂食障害の合併が多いという疾患の特徴や、最近は裁判でも実刑よりも治療優先を勧められることもあるという社会的認知の高さ、常に予約が数ヶ月待ちという社会的ニーズの高さでした。病院見学を通じて私が感じた、竹村院長先生を始めとする病院スタッフの治療への情熱の高さも、社会的認知に大きな影響を与えているのだろうと感じました。

 しかし、最も印象的であったのは、患者のみのミーティングやプライベートメッセージを通じて感じた、当事者間ミーティングおよび自助グループの重要さや可能性でした。入院患者の方を中心にお話をお聞きしましたが、入院期間が長期の方から最近の方と幅広くても、それぞれ内省はとても進んでおり、また、自助グループへの参加や、それから感じたことを大事にされていました。クレプトマニアに限らず、依存症治療における当事者間ミーティングの重要性を改めて感じました。

 依存症に関して、私は、今後もアルコールの当事者中心の治療を続けることになりますが、こちらで学んだいくつかのことを、私が携わる方たちの回復に役立てていきたいと考えています。今回は本当に貴重な機会をありがとうございました。 (厚生会 道ノ尾病院 精神科医 福嶋翔先生)


ホスピタル研修体験記 19 「クレプトマニア(窃盗症)の研修を終えて -- 心を揺さぶる体験、プライベートメッセージ」

 私は2016年3月終わりに3日間の研修をさせていただきました。もともとアメリカ・カンザス州で依存症の勉強をし、substance abuse counselorとしての資格を取得しました。帰国後はカウンセラーとして私の個人事務所や小中学校、薬物依存症回復のための中間施設で仕事をさせていただいています。主に薬物問題は家族会の開催、個別相談、本人のプログラム、カウンセリングをしています。今回の目的は、水面下ではとても多い問題なのに、表面上は犯罪という刑罰でしか扱われない窃盗癖(クレプトマニア)について、もっと知りたい、学びたい、当事者の生の声を聴きたい、今後の私の仕事に役立てたいと強く思ったからです。

 まず、高速を降りて病院へ向かう道すがら、こんなところに病院があるのかというほど、赤城山の中腹でまさに高原でした。病院へ着くと自然豊かな木々に囲まれ、研修棟からは榛名山が見渡せる素晴らしい環境に驚きました。もうこの環境そのものもが治療の一環であり、依存症の治療に必要な恵まれた環境だと感じました。(通院する方にとっては車がないと不便ですが…)院内、特に入院病棟は天井に窓がありとても明るく開放的で気持ちのいい空間なのも印象的でした。
 
 研修の内容は、プライベートメッセージ、AKP(アディクション問題家族教育プログラム)、家族メッセージ、AFK(アディクション問題家族懇談会)、ED/KM(摂食障害/クレプトマニア)メッセージ、院内家族ミーティングなどに参加しました。お願いをして院長先生のお話を伺うこともできました。

 依存症治療には欠かせない本人のミーティングがたくさんあり、ミーティングを重視しているいい病院だと思いました。また家族のプログラムも数多くあります。ご家族には必要に応じて数日から数週間というショートステイ、半年以上というロングステイなど、ご家族自身が共依存から回復し自立するための場所と時間を提供していることにも驚かされました。やはり依存症者と距離を置く、離れるというのは回復初期には必要な場合も多くあると感じています。

 依存症の正しい知識を得るための教育プログラム、それを知って家族がどう対応するのか、家族自身がどう変わっていくのかを支えるための家族懇談会には大変多くのご家族が参加され、今困っている問題をそれぞれの方が話され、気づきや学び得ていらっしゃいました。その進行役をされていたPSWの方が、本当にじっくりその方の話を聴かれ、和やかな雰囲気を作りつつ時には笑いもあり、適切なコメントやアドバイスをされていました。ご家族にとってはどんなに心強いことかと思われます。回復への道案内役の大切さを教えていただきました。

 院内家族ミーティングや家族メッセージ、ED/KMメッセージなど、数多くのプログラムには、スタッフは関わらず、ご家族、当事者の自立性に任せ行われていたことにも素晴らしいと思いました。もちろん依存症の根っこは依存ですから、コントロールされたり管理されたりすること自体おかしいことかと思いますが、日本の多くの精神科病院では、管理下に置くということは、めずらしいことではないでしょう。ここでは入院患者さんも、買い物、病院外部の自助グループへの参加も許可の下りている人は自由に外出もできる。また携帯電話も自由に使えるということでした。

 クレプトマニアのことで言えば、男性女性7名の方から8回プライベートメッセージをお聴きしたことが、大変私の心を打つ、心を揺さぶるものでした。そしてクレプトマニアの理解を深めるために、私にとっては最大のプログラムだったと思います。研修のきっかけが院長先生からいただいたファイルにどっさりまとめられた資料を読ませていただいたことでした。もちろん私の仕事として扱っている薬物も病気であり、刑罰では回復できない、治療が必要だということは知っていましたが、先生の資料を読んだ時点では、理解したという程度だったと思います。それがプライベートメッセージを聴き終わった後は、心の底から、全身全霊で「窃盗や万引き、摂食障害を杖にせざるを得ず、こんなに頑張って生きてきた人たちが、刑罰だけで苦しい人生を強いられ、回復から遠ざかってしまうのはなんて無念なことだろう」と強く感じました。

 院長先生のお話の中にも、先生がご苦労されたこと、自助グループの必要性、クレプトマニアが刑罰ではなく病気として治療が必要だということを社会にもっと広めたいとご尽力されていることをうかがいました。プライベートメッセージを聴かせていただき、先生のお心に近づけたという気がします(えらそうですが…すみません)。 今回の研修を終え、もちろん私のカウンセリングという仕事にも活かしていきたいと思うのと同時に、なんとか私の地元である東海地方でも、クレプトマニアが病気であり、刑罰ではなく治療に繋げたい、それをもっと社会に広め、多くの人に知ってもらいたいという思いが大変強くなりました。まだ今何ができるのかわかりませんが、方向性を教えていただく良い機会になりました。

 竹村院長先生はじめ職員の皆様、正直なお話を聴かせてくださった患者の皆様、一緒に研修棟で過ごしてくださったご家族の皆様、本当にありがとうございました。他では学べないあたたかく貴重な研修だったと思います。心より御礼を申し上げます。(カウンセリングスペース はじめの一歩 カウンセラー  河合清美さん)

院長から一言:早速の研修体験記提出、ありがとうございました! プライベートメッセージで体験談を伝えた多くの患者さんからも、河合先生への感謝の声がありました。
河合さんのオフィスはこちらです → カウンセリングスペース はじめの一歩

 久しぶりの研修体験記追加更新となりました。私、院長の業務が忙しくて、研修記をお願いしたり、HPを更新する時間と余裕がなかったのです。この間、当院への研修がなかった訳ではありません。特に司法関係者の方の来院が多く、個人研修だけではなく、弁護士グループの見学と研修が多数ありました。


ホスピタル研修体験記 18 「地域医療実習の一環として、赤城高原ホスピタルを訪ねて」

★ はじめに
 私は自治医科大学という将来、医師が不足する地域で、「地域医療」を担う医師となることを期待されている大学の医学部5年生である。2007年8月21日から24日まで、大学の地域医療実習の一環として、他二人の同級学生とともに赤城高原ホスピタルで実習させていただいた。この4日間は、新しいものだらけで、その実習が終わった直後の今、全てを整理して書き出すことは難しいが、自分の記録のためにもなるべく丁寧に記載してみたいと思う。

★ アルコール依存症
 医学部の教育においてアルコール依存症は主に精神科で扱われる疾患である。しかし、残念ながら数十分の授業で一度扱われたきり、大学の精神科での実習でも患者さんにお目にかかる機会はない。その治療法はおろか、診断基準の存在すら知らなかった。自助グループとか集団療法とか家族療法とか字面で見たことがある、という程度の知識しかなかった。アルコール依存症について、この3日間の実習と病院のホームページを読んで学んだ中での私の理解を書くと以下のようになる(私の勝手な解釈が大分に含まれるので、あくまで私見として)。

 アルコールは大変強い依存物質であり、酒を飲む人は、程度は違うが、皆アルコールに依存している。その中で特に、アルコールの量を自分の力では調節できず、社会的にまたは身体的、精神的に問題を来し、それでも飲む量を調節できない場合、それをアルコール依存症と呼び、その治療は「断酒」することである。

 「アルコール依存症の患者さんは実は地域にはたくさんいる」と、地域医療を行う医師からたびたび耳にする。日本の多くの医療機関では、アルコールで身体に影響が出た場合、その問題の本質には触れず、患者さんの体からアルコールを抜いて、臓器を治して、また飲める体にして「シャバ」に返しているという。

★ さまざまな嗜癖問題とその根っこにあるもの、家族というもの
 病院では、毎日、患者さんとその家族の方々のミーティングが開かれている。そこで語られるそれぞれの思い。この病院に来て、私は人生で初めて以下のような問題を持つと自認する方々が話すのを「生」で聞いた。アルコール依存症、覚せい剤依存症、摂食障害、DV(Domestic Violence)加害者・被害者、アルコール依存症の妻・母、ACOA(Adult Children of Alcoholic Family)、ACOD(Adult Children of Dysfunction Family)、共依存、自殺願望、自傷行為、リタリン乱用などなど。
       
 赤城高原ホスピタルでは「患者本人の治療だけでなく、その家族を対象とした教育や初期介入を重視する。いわゆるACたちへの教育や治療も含む」という理念を徹底して実行している。

 ミーティングには毎回新しいメンバーがいる。彼らが口にするのは、「(患者である)子供や夫の問題だと思っていたけれど、結局自分の問題でもあったんだな。自分が変わらなくちゃ、子供や夫も変わらないんだな」という感想である。嗜癖問題の根っこには、患者本人だけではない、家族とその人たちの生きてきた歴史と様々なものが絡み合っている。丹念にその絡まりを解いていかなくては、表面にあらわれている問題も解決できないのだ、と感じた。

 地域医療では、「家族という単位で診る」ということがよく言われる。この病院で行われていることは、まさにその実践であり、家族とは何か、家族とはどうあるべきなのか、ということを考えるきっかけとなった。家族とは、共同体として、様々なイベントを乗り越えていく仲間であるけれども、やはり個々の人間であり、それぞれが独立して生きていく存在なんだ、と理解した。

★ 治るということ
 「摂食障害は、極めて治療抵抗性で、(死の危険があるという意味で)難治性の悪性疾患」と、私の大学の精神科の医師が話していた。これは、様々な嗜癖問題に当てはまると思う。

 「アルコール依存症の患者さんは治療を始めると、結局、アルコールの依存作用が強すぎて、自分一人ではどうにもかなわないんだ、と悟る。だから病院から出るときに、自助グループというのが必要になってくる。自力で酒を止められる、といううちはまだ甘いのですよ」と赤城高原ホスピタルの松本医師が話されていたが、この言葉が3日間の実習を通して腑に落ちた。アルコール依存症にせよ、覚せい剤依存症にせよ、摂食障害にせよ、患者さんの人格や環境に関わる問題であり、「罹ったら一生のお付き合い。決して治るということはない。いつ後戻りするか、分からない。常に回復の中途にある」というもののようだ。回復者の方のメッセージでは繰り返しこのことが話されていた。だから、「焦ってはダメ」と。治療者が「治す」のではなく、本人と周囲の人間が、自己で気づき、再生していくものなのだ。

 それはつらい過程だろうと思うが、一つの救いは、明らかに回復の道を進んでいる先立つ仲間がいるということである。これは、医療者にとっても救いだろうと思う。生き生きと話す「元」摂食障害の女性を目の前にすることができた経験は、治療者となるだろう私にとっても、一生の財産になると思った。

★ 赤城高原ホスピタル
 赤城高原ホスピタルは、竹村院長をはじめとして医師、PSW、看護師、事務などの職種の皆さんが、それぞれが独立して役割を担い、全員が患者さんの治療に携わっている、という印象を持った。これは、職員の皆さんが内外の研修などに参加され、またご自分でよく学ばれている成果なのだろうと思う。「理想のアルコール症治療専門病院を作りたい」という、院長の当初の目的は達成されているように見えた。この病院を巣立って、地域でAAやEAを主宰する卒業生たちの存在や、様々なツールを使って情報を発信したり、全国から研修を積極的に受け入れる病院の姿勢から、嗜癖問題の高度医療機関としての役割、存在意義を十分果たしているようだった。

★ 残った疑問
 本来の理想は、「家族や仕事などの人間関係がガタガタになって、どうしようもなくなる前の早期介入」であると思う。その段階の方が明らかに治療への反応もよいであろう。身体への影響も少ない段階で食い止められるかもしれない。また、医療経済的にも早期での介入は重要な鍵となるはずである。竹村院長もそれを目指していたが、「地域全体のアルコール医療環境の向上なしには実現し得ない」とのことだった。「地域全体のアルコール医療環境の向上」には、住民や行政、福祉、医療者のアルコール依存症への理解という段階から、具体的なシステム構築までを含むと思うが、今の日本はこれがどの段階まで進み、どんな課題があるのだろうか、という疑問が残った。

 早期介入と関連することだが、アルコール問題は「問題」とするのが難しいと感じる。近年、喫煙は「ニコチン依存」としての市民権を得て、その治療法も確立されつつある。しかし、吸っていれば、それだけでニコチン依存症とされるタバコと違って、アルコールは私自身も飲むものであり、日本においては「付き合いには必須のもの」という認識が根深くあると思う。飲んでちょっとした問題を起こす人は、「やんちゃができる頼もしい人」と見なされる傾向すらある。その中で、アルコールを問題視し、治療の段階にまで引きずり出してくるのには、どうしたらよいのか。家族という単位で診て、患者さんを予防から治療、看取りまでを担う地域医療医はどのようなアプローチができるのだろうか。それは、福祉や行政との連携であり、啓蒙活動でありするのだろうが、今後の課題として心に留めておきたい。

★ これから、自分として
 今回の実習で初めて「こういう世界に出会った」というのが正直な感想である。私にとって、嗜癖問題への扉を開いてくれた大変有意義な実習であった。この出会いを踏まえて、では自分は今後どのようにこの問題と付き合っていくのか。私の現在の目標は地域医療医となることである。今のところ、精神科専門医になることはないだろうと思う。ともすれば目を背けてしまいそうなこの問題に、専門外(精神科医ではないという意味で)の医師としてどう向き合えるのか、ということである。地域に根差した医師としてどう取り組めるのだろうか。もちろん、実際に医師になってみないとわからないが、今回の実習で学んだ嗜癖問題とは何かということ、自助グループの存在、医療保健行政のシステムなどを活かして、必要な時に、そういったものにアクセスできるように情報を集めておくことが、まずはできるだろう。

★ 謝辞
 4日間の実習を通して、大変親切に丁寧にご指導くださった、赤城高原ホスピタルの竹村院長をはじめとする職員の皆様、そして外部者である私たちをミーティングなどに迎え入れてくださった患者様、ご家族の皆様には大変感謝いたします。ありがとうございました。また、このような実習の機会を与えてくださった、指導医の伊東先生、自治医科大学にも感謝しております。

 今回は、地域実習として初めての試みで赤城高原ホスピタルを訪ねさせていただきましたが、この貴重な機会が今後、後輩にも引き継がれますことを、希望いたします。(2007年夏、自治医科大学5年、CTさん)


ホスピタル研修体験記 17 「アルコール依存症治療のジレンマへの対応」

○アルコール依存症について
 今回の実習において、赤城高原ホスピタルで実習することの目的は、@地域に出たときにぶつかるアルコール依存症治療のジレンマ(急性アルコール中毒の治療をしても、結局飲める体にして社会に返してしまい、同じことの繰り返しとなる)へのアプローチを学ぶ、Aアルコール問題の根底にある、家族環境の問題などをどのようにとらえてどのように解決するかを学ぶといったことであった。
実際、僕が実習前に持っていたアルコール依存症のイメージというのは、社会に出ることもなく、昼間からお酒を飲んではつぶれ、次第にアルコール性肝臓障害から肝硬変へと悪化し、肝不全を起こし亡くなっていくといったもので、その問題点は身体的に衰弱していってしまうことに主眼をあてるべきものと考えていた。しかし、実習後は、アルコール依存症とは、「飲む量を調節する機能を失った」という病態であること、成人男女の3.6%に見られる慢性疾患であり、進行性、致死性ではあるが、適切な治療により回復する、本人は(家族も)飲酒問題から目をそらし病気であることを否認する傾向にあるものであるということを知った。つまりは、問題点は本人がアルコールに依存していることを正しく認識していないこと(自力で対処できるものだと考えていること)、家族も、アルコール依存患者に対して、自分が何かしてあげないとこの人は一人では生きていけないと思い世話を焼いているうちに、本人を飲める体に戻し、飲み続けられる環境を知らずに作ってしまっているといった(共依存)行動・認識面にあるという見方に変わった。
赤城高原ホスピタルでの治療は、まさにここに主眼を置いたもので、毎日自助グループによるミーティングや、スタッフ主導によるミーティング、家族のミーティングなど、集団療法のプログラムがしっかり組まれていた。こういったアプローチから、飲酒問題で何年もどうにもできなかった家族関係が改善して元に戻り、何回も入退院を繰り返しながらも、自分が飲めない状態であることを認識していくといった、回復への道が開かれているように思えた。
以下これらの体験から踏まえた、アルコール依存症のとらえ方、地域に出た際の、アルコール依存症へのアプローチ方法の考察をまとめたいと思う。

●人間関係の解決⇒アルコール依存症の治療

 上記に述べたようにアルコール依存症の根底にあるものとして、
@アルコール依存症は、「飲む量を調節する機能を失った」という病態である。
Aそのことに対し、本人の病識がない。
B家族も自分がアルコール依存者への依存状態に深く関わっていることを自覚していない。

といったことがある。また、アルコール依存症を診断するに当たっては、アルコールを本人の力ではやめることができないと考えられるような行動(飲むまいとは思いつつも飲んでしまう、適量で止めようと思っても飲んでしまう、お酒の問題で家族関係や人間関係にひびが入ったとしてもやめられないなど)から診断される。つまりは「お酒を飲みたい、飲まないとやっていられない」といった依存が、自分の体を壊す、人間関係を壊す、といった社会的規範を逸脱しても優先されてしまう、つまりは社会的に問題化することで、定義される疾患だとみることもできる。また、Bの「家族が依存状態に深くかかわっている」というのは、例えば、夫が会社にも行かず毎日朝からお酒を飲んでしまう家庭があるとして、家族がかかわらなければ、本人は経済的にも身体的にも生きていく力を失ってしまうので、何もできずそのまま衰退していくか、お酒を飲むことをやめようとするか、という選択を迫られるといった流れになる。ということは、アルコール依存症者が飲み続けている場合は、飲酒継続を経済的に、あるいは身体的・社会的に支え、手を貸している存在があることになる。多くの場合は、家族が、このまま本人を放ってはおけないと、その支え手の役割を担ってしまっていることが多い。(この状態を共依存と呼ぶようである)

 こういった考え方、(お酒をやめようと思ってもつい…といったものや、共依存の、自分がやってあげなきゃいけないといったもの)は日常あふれるものだということに気づく。また、例のような家庭では、まず奥さんに入院してもらうことから治療が始まることがあるという。支えを失うことで、依存者は自分の力ではどうなることもできないことを知り、奥さんも、集団療法の中で同じような関係の人から話を聞き、自分が依存状態を支えていることに気づき出すという。つまりは、構造としては、お酒という依存性の薬物のトラブルを種に、いつの間にか問題は人間関係にすり替わり、アルコール依存、共依存が成立するといったものになっている。だとすれば、この解決には、人間関係の解決が必要であり、そのためには、第三者の存在、特に同じような場面を経験し、解決してきた人の意見が効果的であることがわかる。赤城の治療の一骨格を担っている集団療法は、人間関係の解決方法であり、アルコール依存症の治療であるという考えに至る。

●地域に出て、アルコール依存症の方へのアプローチ

 卒業された先生方の話を聞くと、少なからずアルコール依存症の方はいるようである。そのような場面に遭遇した際に、どのようなアプローチをしたらよいであろうか。

 おそらく、こうすべきだといった1対1対応の答えはないと思われる。それは人間関係の問題が、アルコール依存の問題を形作っているだけに、それぞれのケースにそれぞれの問題があり、ここの人間関係を紐解くことが重要だと思われる。ただ、そこに思い切って介入すべきか、赤城高原ホスピタルを紹介するにとどめるかは、十分な考察が必要と思われる。いずれにせよ、今回の実習で、赤城高原ホスピタルの存在を知ったこと自体が大きな収穫で(むしろ知らなかったことが恥ずかしいことであるが)、そこで回復する人がいるということを伝えられるだけでも、解決につながると考えられる。

 介入すべきか否かということについては、考察の余地がある。そもそも、赤城高原ホスピタル自体、はじめに持った理念はアルコール依存症の「早期発見・治療」だったのだが、どうしようもなくなってから病院にくるケースというのは、今も少なくない。否認の疾患であるだけに、早期に発見し、介入して治療するといったスタンスだけでは治療にはつながらないように思える。しかし、任意入院を条件といている今の病院はとても機能的であり、入院患者の回転率も精神科の病院としてはとても速いように思えた。地域にでる医師の役割としては、こういった病院の存在を知らせ、酒害者本人や家族が絶望に至っていたとしても、希望があることを知らせる事が重要なのかもしれない。(2007年夏、自治医科大学医学部5年、MSさん)


ホスピタル研修体験記 16 「改めてPSWになりたいと強く思いました」
 
 2004年の夏に2週間、研修をさせていただきました。研修中は様々な治療プログムに参加し、インテイク面接や入院手続きなどを見学させていただきました。その中で特に感銘を受けたのは、治療プログラムのAFK(アディクション問題家族懇談会)です。

 AFKでは、PSWが進行役となり、参加されている家族の方一人ひとりの問題や思いを聴き、アディクション問題に対する正しい知識や情報を提供し、家族の方が自身の問題に向き合っていけるように助言します。初めは「アディクション問題を抱えている患者本人の保護者として、治療協力のため」に参加されていたご家族の方が、この場で思いや悩みを語り、他の仲間の話に耳を傾けていく中で、自分自身と向き合い、「自分自身のため」に参加するといった変化が起こります。PSWの方が参加者一人ひとりのお話を傾聴し、問題を整理し、明確にし、的確なアドバイスを行い、その変化を誘導する過程に感銘を受けました。

 ある患者さんの「ここに来る人は自分の弱さを知っているから優しいんだよ」といった言葉が印象に残っています。患者さんも家族の方もミーティングや治療プログラムで自分の思いを話し、他の仲間の話を聴くことで自分自身と向き合っています。自分自身と向き合うことは辛く苦しいものです。それを体験しているからこそ、他人に優しくできるのだと感じました。

 研修中、患者さんや家族の方のお話を聴き、私自身も心を揺さぶられ、自分と向き合うことが多く、辛いと感じたこともありましたが、一方で課題をたくさん見つけることのできた研修でした。お忙しい中、私の些細な疑問や思いに対して丁寧に指導してくださったPSWの方々には大変感謝しております。私は大学で社会福祉を学び、精神保健福祉士を目指していますが、病院スタッフ、患者さんとその家族の方から信頼され、それぞれ個性を生かして仕事されている5名のPSWを拝見して、改めてPSWになりたいと強く思いました。この研修で感じ、考えたことを大切に、今後の大学生活や社会生活に活かしていきたいと考えています。本当にありがとうございました。(精神保健福祉実習生、ESさん)


ホスピタル研修体験記 15 「自助グループが印象に残りました」

 2004年8月に2泊3日の研修をさせていただきました。短い期間でしたが、とても中身の濃い研修となりました。自助グループのミーティングに参加させていただいたことが特に印象に残りました。

 自助グループのミーティングで、患者さんやご家族が自分自身のつらい過去や現在の自分自身の姿と真剣に向き合い、飾らずにありのままの自分を語っている姿に胸を打たれました。また、他の人の話を聴く事で深くうなずいていたり、はっとされた表情をされていたりする姿を見たことも印象的でした。ミーティングの場所は、気持ちを分かち合ったり、自分自身と同じだとはっと気が付いたりが自然にできる場所なのだと感じました。

 そして、私にとってとても印象深かったのは、ミーティングの中でつらい話をしていながらも笑いがあり、小さいけれど希望を感じさせる言葉を幾度か聴いたことでした。自分を見つめるという苦しい作業の中で、自分自身のことを客観的にみて笑いにすることができ、ミーティングの中で「そうなんだよなあ」と顔をゆるめて笑うことができること、どん底のように感じながらも生きていこうと強く感じていること、依存症の自分に腹ただしさを感じながらも新しい人生を歩んで行きたいと希望をもっている姿は私に感動を与えてくれました。私自身も力を分けていただいた気がします。

 今回の研修では、PSWの方に本当にお世話になり感謝しています。また、多くの病院の職員の方にお世話になり有難うございました。(PSW、MKさん)


ホスピタル研修体験記 14 「待合室ですわっていたら、・・・・」

 今回、赤城高原ホスピタルで6日間の研修をさせていただきました。

 「生きること」は簡単ではありません。けれど、「生きなければならない」し、「前をむいて生きていたいと強く思う」と多くの患者さんやご家族の皆さんが言っていたように感じ取れました。その言葉は、もちろん直接お話を伺う機会もありましたが、院内ミーティングや家族会に参加させていただいて感じた私なりの答えでした。

 大きすぎる問題を抱えてやってくる参加者の話にじっくりと耳を傾ける家族会の皆様。自分のことのように静かにうなずき、時には励ましたり、その方の見本となったりして、お互いがお互いを理解したり認め合ったりしているようでした。私は、ご家族から語られる言葉一つ一つがとても胸に響き、客観的に見るということを忘れ、気づくといつも涙を流していました。家族会ではPSWが進行役となります。参加者の“思い”を汲み取りながらも、時には笑いを交えて進行していく様子がとても勉強になりました。

 また、当事者参加のミーティングでは、自らのことを内省し語る姿がとても印象的でした。当事者の方の多くは、自分の性格や病気についてかなり理解しておられました。

 「生きづらさ」、「生活のしづらさ」…教科書ではよく登場する言葉です。しかしその言葉を知ったからといって、当時者の気持ちに寄り添うことは難しいのではないかと思います。こんなエピソードがありました。

 私は、一時間ばかり空き時間があったので外来の待合室に何をするでもなく座って、患者さんやご家族がひっきりなしに現れる病院の様子を見ていました。そしたら、ちょうど今日退院される患者さんに、「そこに座っていると患者に見えるよ。」と言われました。私は「なんの病気で病院に来たんだと思いますか。」と尋ねると彼は笑いながら、「アル中と摂食(障害)かな」と答えました。私は、もちろんアルコール依存症でも摂食障害でもありません。しかし見方を変えれば、外見がそう見えない依存症の患者さんもいるのです。殊に精神障害ははっきりと外に見える病気ではありません。ですから、多くの方が見えない病気と戦っているのです。「生きづらさ」も同じです。うまく表現できない闇と共に生きる辛さを抱えながらも平静を装って生きていかなければならなかった方々が多くいらっしゃるのだと感じました。だからこそ、当事者の方やご家族のお話を聴くことが何よりも大切なのではないかと感じます。

 最後になりましたが、お忙しい中ご指導いただきました赤城高原ホスピタルのスタッフの皆様方、本当に有難うございました。また、患者さんやご家族の皆様方など、貴重なお話しを拝聴させていただき深く御礼を申し上げます。 (2004年8月、青木好美、東北福祉大学大学院 総合福祉学部福祉心理学科)


ホスピタル研修体験記 13 「摂食障害の子どもとその家族への支援について、」

 2004年8月初旬に5日間の研修をさせていただきました。私は看護大学助手をしており、小児看護を専門とし、摂食障害の子どもとその家族への支援を研究テーマにしています。今年度、文部科学省研究費の助成をいただき、HPで以前から注目していた赤城高原ホスピタルに研修に行くことができました。

 ホスピタルの治療の特徴は、「患者さん自身に主体的に治療していただく自助努力を治療の中心に置き、そのための環境を医療者が提供する」というポリシーにあると捉えました。また、その考え方の元には「嗜癖モデル」があると教えていただきました。私は精神科が専門ではないので、その「嗜癖モデル」についてお聞きするまで知りませんでした。

 そのような基本的な質問にも丁寧にお答えくださいました院長先生、丁寧にご指導してくださいました樋田様、看護の現状を伝えてくださいました看護師の皆様、苦悩や思いを言葉だけではなく全身で伝えてくださいましたご家族の皆様、すべての方々のおかげで多くのことを感じ、学び取ることができました。研究だけでなく私自身の新たな課題をも見出すことができました。今回の学びを無駄にしないように、研究の成果と私自身の成長につなげていきたいと思います。本当にありがとうございました。(2004年8月、Tさん)


ホスピタル研修体験記 12 「変化は多様なサポートの厚みから生まれる」

 この度は、赤城高原ホスピタルにて実習する機会を頂いたこと御礼申し上げます。以前から何度かホスピタルに足を運ぶ機会がありましたが、いつも到着してまず感じることは、緑あふれる自然環境と、開放的な病棟です。

 ホスピタルを利用されている方々とお話する中で、社会から少し離れ、落ち着いた場所で、いままでの自分の生き方を振りかえり、今後の自分がどう生きていくか決めるには最適の環境だとあらためてしみじみ思いました。

 自分の生き方を見つめなおすという作業は、ひとりで行うことは難しいものです。赤城高原ホスピタルには、様々なプログラムやミーティングが朝から晩まであり、そこで自らの生き方について語り、共有する機会があります。私自身もできるだけ多くの方のお話を聞きたいと思い、たくさんのグループに参加させて頂きました。

 混乱状態で初めてミーティングに参加されていたご家族の話し方、話す内容が、場数を踏むたびに少しずつ変化していきます。例えば、「家族に問題のあるものがいてこういう状況だ。こんなに大変だ」という愚痴の繰り返しから、やがて「いま自分自身が感じていること、自分自身の生い立ちや問題点」に話題がシフトしてゆく変化には胸が熱くなる思いを持って傾聴致しました。

 このような変化とは,院内治療プログラム、回復者がコンダクターを務めるグループミーティング、朝・晩開かれる当事者のみのミーティング、院外グループへの参加、個別面接など多様なサポートの厚みから生まれるものだと分かりました。実際病院内外のいろんな場所でいろんな援助が展開されていました。実習のいろいろな面で、目から鱗が落ちるような気づきを沢山もらうことができました。
 
 最後になりましたが、病院スタッフの皆様、お忙しいところ、ご指導頂き有難うございました。また当事者の立場からいろいろ教えてくださった患者さんやご家族など、利用者の方々に深く御礼を申し上げます。(2004年6月、専門学校 PSW実習生)


ホスピタル研修体験記 11 「PSWに何ができるの」

 専門学校の夏休みを利用して赤城高原ホスピタルで研修をさせていただきました。地元の精神科は見学や実習に対してどちらかというと積極的ではない印象をもっていたため、個人研修を受け入れていることに驚きました。このことからも分かるように、実際に来てみると病院全体がとても開放的なところでした。

 その頃の私には「PSWに何ができるのか?」という疑問と共に「病気や障害をもつ本人だけでなく、苦しんでいる家族を支えたい」という思いが漠然とありましたが、実のところ、依存症についての特別の興味も知識もなく赤城に来て、何も分からないままにプログラムに参加させていただきました。そこで出会った家族会はとても印象的でした。家族自身を苦しんでケアを必要とする人として関わっていくという考え方は、私が模索していたものの1つの答えであるように感じられました。

 家族会で語られるご家族の体験談は、現在進行中の辛さや悲しみであったり、反対に昔の苦労を笑って振り返る現在の余裕であったりしましたが、どのお話も身を削るような思いが込められているものでした。家族会に参加されている方同士、そしてワーカーとのやりとりには、関わりの積み重ねや歴史を見るようで、私もワーカーとしてここまでじっくりと関わってみたいと思いました。このような場に私のような部外者を参加させてくださったことに感謝をしています。

 家族会以外にもスタッフが入るもの、入らないもの、オープンのもの、クローズドのものと、様々なミーティングやメッセージなどがあります。限られた時間内ではありましたが、朝のミーティングから夜のミーティングまでできるだけ多くのものに参加したくて、お願いをすると快く受け入れてくださいました。

 アルコール、薬物、摂食障害などそれぞれのミーティングで雰囲気は異なりましたが、当事者だからこそ語られる言葉、力があったように思います。

 研修期間中、たくさんの方の体験や思いを伺いましたが、「私が同じ立場だったらここまで強く生きられるだろうか」と考えさせられ、また自分自身を見つめ、自分を変えようと努力されている患者さんやご家族の姿に私自身が勇気づけられました。

 専門学校の最終学年という自分にとって大事な時期に貴重な体験をさせていただけたことに感謝いたします。ありがとうございました。(2003年9月、Nさん)


(追加) 実は、2004年3月に専門学校を卒業し、赤城高原ホスピタルに就職しました。研修に来るまで、まさか私がここに就職することになるとは考えていませんでした。


ホスピタル研修体験記 10 「最も印象に残り、プラスになったことは、家族の方々と接したことでした」

 私は現在大学で精神保健福祉士を目指し、勉強している最中です。今回夏季体験実習ということで間、赤城高原ホスピタルで実習をさせていただきました。2日間という短い期間ではありましたが、この実習で学んだことは数多くありました。

 実習を通して、アルコール依存症や摂食障害などの病気について改めて勉強することができました。病気についての知識は多少あったものの、普段聞くことのできない患者さん本人の体験談などを聞かせていただくことで、学校では教えられることのないことをたくさんしることができました。私にとって今回の実習で最も印象に残り、かつプラスになったことは、家族の方々と接したことでした。今まで患者さんと接することはあっても、家族の方々と接したことはありませんでした。治療プログラムに参加し、家族の方々の悩みや問題を聞いているだけで、痛いほどその感情が自分の中に伝わってきました。プログラムの合間や休憩中に家族の方々と話すことができ、そのときもプログラムと同じように家族の方々が自分の素直な気持ちを初対面にもかかわらず、隠さずに話して下さったことがとてもうれしかったです。私の質問や疑問などにも嫌な顔一つせず、体験談などを交えながら話して下さいました。また、家族の方々と話していく中で、家族の方々のワーカーに対する思いなどを数多く聞いていて、本当に自分はこの仕事ができるのだろうか、やりとおすことができるのだろうかなどという不安が生まれてきました。そんな時、家族の方が「大変な仕事を目指すのね、でも頑張って私たちのような人の力になって頂戴」といってくださり、とても胸に込み上げてくるものがありました。
 
 この赤城高原ホスピタルでの実習は、ただ単に“頭”で考えるものではなく“心”で考えさせられることが多かったように思います。また学ぶことも多くありましたが、それと同時に「なぜ自分はこの仕事を目指すのか」「なぜこの仕事がしたいのか」を改めて考え直すきっかけを与えていただきました。中途半端な気持ちではなってはいけない仕事だと感じ、より一層自分のVISIONをしっかりともたなくてはいけないと思いました。この2日間様々な方から多くのことを学ばせていただきました。中でもワーカーの杉山さんと板倉さんにはお忙しい中時間を作っていただき、私のささいな疑問や質問にも丁寧に答えていただき、とても感謝しています。この場をお借りして御礼申し上げます。

 最後になりましたが、竹村院長先生をはじめ、多くの職員の方々に深く感謝申し上げます。(2003年8月、関 来春さん、東北福祉大学総合福祉学部福祉心理学科3年 )


ホスピタル研修体験記 9 「患者さんの生活の自由が保障されていることに感心しました」

 先日はお忙しいなか、私のためにお時間をさいて実習を受け入れてくださってありがとうございました。

 実習が終わって一番心に残っていることは、自由な環境です。私はこれまでに2つの精神病院を見学させていただいたことがありますが、いずれも閉鎖病棟が中心の病院だったので、比較をしてその差に驚きました。

 まず患者さんの生活の自由が保障されていることに感心しました。自治会のミーティングに参加させていただいたのですが院内生活の不平不満を募り会長さんが回答を出すという光景が新鮮に感じられました。私たちが生活するうえでこのような会合は当たり前なことであり、今では若者の参加が減少し衰退しているところがあるのに、ここでは老若男女問わず参加されており、1つひとつの問題に皆さんが意見を出して議論されていました。またこの会合には職員の方が1人も参加しておらず、出席者は患者さん方のみでした。今まで見てきた病院では必ず職員の方が参加しているかまたはミーティングそのものがなかったのでここでも差を感じました。

 ワーカーさんとお話をする機会があったときに「この病院は特殊でしょ」とおっしゃられていましたが、このような自由な環境の整った病院が本来のあるべき姿で、閉鎖病棟中心の病院の方が特殊であるはずだと思います。しかし現実は遠くかけ離れていてなかなか理想に届かない状況です。確かに閉鎖が中心でないとやっていけない患者さんも大勢いらっしゃるので一概に開放病棟がいいとはいえませんが。もし閉鎖中心であっても心のゆとりのある病院作りをしてゆくべきだと考えます。

 貴院の患者さんを見ていて感じたのは自分の身なりに気を遣っている方が多いということです。病院のまわりは緑の木々が生い茂り、買い物できるデパートやショップは遠くまで行かないと購入できないのに、素敵な洋服を着たりエクステンション(付け髪)をつけたりしておられるのに感心しました。若い患者さんが多いのが理由だと考えられますが、心のゆとりが充分にあることも挙げられると思います。

 人は生理的欲求、安全・安定の欲求・社会的地位の欲求が満たされて初めて自尊心や身なりを整える欲求が生じます。これによって、彼らには3つの欲求が満たされていると考えられます。今の私の浅はかな知識ではどのようにすれば心のゆとりを与えられるのか具体的な手段は分かりませんが、ワーカーさんを見たり、患者さんや家族の方々とお話したことにより、一人一人を大切にすることがゆとりを与える一番の方法なのではないかと感じました。

 そのほかにも家族の方へのプログラムが充実していたり、施設の明るさ、広大な自然、ワーカーという職業の大変さ・大切さ・遣り甲斐など、2日間でしたが学ぶことが沢山あって、1分・1秒も無駄にすることの出来ない貴重な体験が出来ました。あらためて院長をはじめとして、ご指導くださったワーカーさん、職員の方々、そして患者さんとご家族の方々にお礼と感謝の意を伝えます。また機会があればぜひお伺いして皆様とのふれあいの時間を持たせていただけたら光栄です。

 暑い日が続きますがお体には気をつけて更なるご活躍をお祈り申し上げます。本当にお世話になりました。(2003年8月、田中麻貴さん、東北福祉大学総合福祉学部福祉心理学科 )


ホスピタル研修体験記 8 「国は違っても、アルコール問題の基本は同じでした」

先月は色々とお世話になりました。イギリスのアルコール症専門 Clinicで働いているマグラー祐子です。先週イギリスにもどりました。
赤城高原ホスピタルで過ごした2日間はとても貴重な経験になりました。色々な面で興味深かったです。以下、私の見学の感想です。

1.ロケーション
ホスピタルは自然の中にあり、日常生活とは違う環境で依存の問題に取り組めることは素晴らしいと思いました。日常のストレスからも一時期離れられますし、環境もちがうので、新しい習慣(行動そして考え方の習慣)を身に着けるのには適していると思いました。その新しい習慣を退院後にも行うのはとても難しいとは思いますが、ホスピタルとセルフヘルプグループのサポートを基にし各自よりよい生活へとむかっていくのでしょう。

2.ミーティング
今回、いくつかのミーティングに参加させてもらいました。全体的にリラックスした雰囲気で行われていて偏見的なところもなく権威主義的な態度もありませんでした。スタッフの方からは、ミーティング中、その患者さんにはどういうアドヴァイスをすれば一番良いか、なにがホスピタルとしてその人にできるかというポジティヴなアティチュードがみられました。患者さんの自立と自律を促進している所が特に共感しました。

3.設備
とても広い病院で,ベッドの数も多くうらやましく思えました。屋内の運動場もあり、ダイニングルームも広く、そして病院内もとてもきれいでした。

4.スタッフ
スタッフの方々にはとてもお世話になりました。皆さん忙しい中、色々教えていただいたり、面倒をみてもらったりと、感謝しきれません。ありがとうございました。とてもオープンマインデットのスタッフ達でした。

5.患者さんたち
自治会そしてミーティングと活発な動きがあり、感心しました。ミーティング中は人の意見をちゃんと聞き、尊敬をしていてよっかたです。フレンドリーな方々で、ミーティングにも問題なく参加させていただけました。ありがとうございました。

6.全体的に
お酒の問題は日本とイギリス、国は違っていても、大きな問題だと思いました。国は違いますが、今回の見学の経験から、お酒によっておきる問題 (家族、健康、仕事、心理的問題、犯罪等)、そして深酒の原因がとても似ていたのが興味深かったです。ミーティングでのトピックも私達のやっている事とにているところもありました。たとえば、どうやって飲酒と関係のある場を避けるか、です。見学中、時々自分のイギリスの職場にいる感じさえしました!!それは、先に上げた共通点のせいだけではなく、患者さん達の行動やからだの状態や心理状態の類似のせいでもあるかもしれません。もちろん違う所も色々ありました。それはそれで、勉強になるし、興味深かったです。お酒の問題は、当人が直そうと思わない限り回復が非常に難しいものです。日本にも、その問題を治すのをできるだけサポートしてくれるホスピタルがあることがわかり、その現場を経験できて、本当によかったです。家族の方々にもサポートを与えているというのも頼もしい限りです。今回、見学を受け入れて下さり、お世話になった院長、スタッフ、そして患者さん達にこの場を借りてお礼をいたします。(2003年8月、マグラー祐子さん、Assistant psychologist、The Windsor clinic, UK. )


ホスピタル研修体験記 7 「治療スタッフと患者さんの境界線について考えさせられました」

 今回、大学休暇中一週間の間、赤城高原ホスピタル、赤城苑で研修をさせて頂きました。振り返れば、「研修」というよりも私の気持ちを至る所から刺激してくれた「思い出」という表現の方が適当かと思います。

 研修全体を通じて、アルコール依存症、摂食障害など病気そのものについて、そこから共依存という家族全体に関わる病、その中で実際に闘っている患者さんとご家族自身の主訴、生活、既往や現病歴などについては、自分なりにですが日々学ばせて頂けたと思います。しかし、今回の研修で、もっと私にとって印象強く残っていることは、病院の中でみんなが治療者みたいだったと感じたことです。どういうことかといえば、医師、看護婦、PSWだけではなく、患者さんご本人、ご家族や過去に同じ診断をされていた回復者までがそれぞれ対象とする何かを治療していました。大雑把ですが、治療の対象は現在定義されている病そのものもそうかもしれませんが、それよりも一人一人の現在までと今後の日常生活やもっと広い意味で生き方、またその周りの人達も対象となっていたと感じました。治療所は食堂まで至り、私も同席させて頂きましたが、ご家族同士で似たような気持ちや感情を四方八方から何度もぶつけ合いながらのものでした。その中で、病は違うかもしれませんが、私自身も治療の対象となった一人でした。

治療プログラムの一つのミーティングの最中、ある患者さんから
「実習生さん、あんたさあ、俺の話しをさっきから一生懸命メモとっているみたいだけど、そんなんじゃ話しにくいんだよね」
「メモを取っちゃいけないですか?」
「ああ」
のようなやり取りが40人位の前で平然とされました。あまりにも単刀直入に言われたので、その場では正直びっくりしました(翌日も同じ患者さんに他のことについて言われたのですが)。しかし、同時に自分の気持ちをそのまま口に出すことは大事で、それを聞き手はそのまま流してはいけないなと、自分で改めて感じたんです。ですが、私の日常を振り返ってみるとそれがあまり守られてないかもしれないと思ってきました。この他にも患者さんやご家族と接する中で、私は次第に医療関係者と患者さんとの間で自分勝手に境界線を引いていたかもしれないと私自身を疑うようにもなりました。そのようなこともありましたが、同じ治療ミーティングでの出来事で、患者さんの一人が私を指名して下さり、私もグループの中で発言や病についての本の朗読に参加できたことは嬉しかったです。

 もう一つ治療を受けたことは、私自身の医学という道に進んだ気持ちを整理できたことでした。ここでは、赤城高原ホスピタルでの研修の合間に通っていた赤城苑での出来事から話したいと思います。そこに住むおじいちゃん(理由があって今は施設内レクリエーションに参加できないのですが)とは初日から最終日まで会っていました。最初の頃の会話は、なんだか病気のことやもう死にたいという話ばかりになっていました。少しずつでしたが、「ショウニン」と言われて「商人」だけしか頭に思い浮かばなかったような私に、おじいちゃんは、若い頃していた仕事、日々の生活、奥さんのことやレクリエーションに参加できない理由まで色々と話しをしてくれる様になり、さらには、こんなんじゃ死にきれないと力強くおっしゃいました。友人との会話とは違って、なんだかその言葉が「じわ〜」っと染み込んでくる感じがしたことは今でも覚えています。また、訪れた時はいつも床で寝ていて「頭痛い、頭痛い、頭痛いよ〜」と歌ってばかりいる痴呆症のおばあちゃんですが、最終日には私の手を握って「あなたの手は温かいよ〜」とおっしゃいました。最後の日に私が訪れた時、部屋の中で人形の前で一人で歌っていた痴呆症のおばあちゃんですが、先日お会いした時は何度訊き返しても「ここはちらかってばかりいる」とばかり言い続けて、私には何を言っているのかさっぱり理解することができませんでした。しかし、最後に訪れた時には自分の人生と温泉の話を歌にしてくれました。私にとっては意味が伝わってきた歌でした。その後には「家に帰りたい」と涙を浮かべてはっきりとおっしゃいました。また私が最後に赤城苑を去る際、「あなたはどこから来たのですか?」とおばあちゃんから聞かれた時に、私が「九州です」と答えると、おばあちゃんは「九州は遠いです。でもまたきっと来てください」とおっしゃってくれました。これらの経験も含めて、一週間の中で、私の気持ちに直接話し掛けられていると会話中に感じたことは少なくありません。

 私は工学部出身の学生です。工学部時代は教科書、コンピューターや機械を通じた勉強や研究がほとんどでした。医学の勉強は始まったばかり(基礎医学の初期)で、きっと医学という学問は未だ私の体に浸透していません。しかし、短い間でしたが、今回の研修ではっきりしたことは、この道でもっと患者さんと会話をしながら、この先何か私が学んでいくものや感じていくものをみなさんに披露していきたいということです。

 最後になりますが、今回はこの様な機会を下さった赤城高原ホスピタル及び赤城苑の職員の皆様、患者さんとそのご家族に深く感謝いたします。(2002年7月、HHさん、医学部1年)


ホスピタル研修体験記 6 「自分自身の過去についても考えさせられました」

  大学院に入学してから色々な病院や施設などの見学や実習の機会に恵まれた。それぞれが大変勉強になるものばかりであった。そしてまた、今回の赤城高原ホスピタルにおいての実習では、今まで知らなかった精神科の領域を勉強する事が出来たと思う。従来私は、精神病院というと、精神分裂病やうつ病を主に考えてしまう傾向があったためである。赤城高原ホスピタルはアルコール症専門治療施設だ。アルコール依存のみではなく、様々なアディクション(嗜癖)問題を扱っている日本でも数少ない病院である。

 赤城高原ホスピタルでは、依存症者本人のみではなく、その家族にも治療プログラムが用意されている。朝の院内ミーティング(各依存症ごとに分かれて行なう)に始まり、午前中のAFK=アディクション問題家族懇談会、午後のメッセージミーティングなどの各種プログラム、そして、夜の院内ミーティングと、週間治療プログラムが細かく分かれて構成されている。
 私はAFK=アディクション問題家族懇談会、AKP=アディクション問題家族教育プログラム、SSK=摂食障害回復者の本人向けメッセージ、AC(アダルトチルドレン)メッセージ、家族メッセージ、AFK=親子問題、AFK=家族問題、ED(摂食障害)メッセージ、DR(ドラッグ)メッセージ、入院時オリエンテーション、院内家族ミーティング、院内アルコールミーティング、院内EDミーティング、院内DRミーティング、院内MD(処方薬依存)ミーティングに参加する事が出来た。

 AKP=アディクション問題家族教育プログラムは、看護師が司会し、依存症についての正しい知識や、治療の方法、依存症本人と家族がやるべきことなどを、治療スタッフが説明する場である。自助グループ(同じ病気を持つ人の集まり)の大切さや、アルコール依存症の場合は抗酒剤の効能などの説明があり、とても理解しやすく、参考になった。特に抗酒剤の知識は今まで持っていなかったので、薬の身体に対する作用や、精神面における重要性を認識できた。
 家族懇談会は依存症者の家族がPSWと共に語る場である。参加しているうちに、アディクションの背景には家族の問題があること、懇談会が知識、知恵の交流の場であること、依存症本人よりも家族の治療を優先する場合もあること、依存症者本人にある種の「底つき」の意識が必要であることなどを、参加者が理解して行くのである。私も懇談会での生の声の迫力に圧倒された。「宗教でも答が出ず、結局精神科にやってきた」という話からは、わらにもすがりたい家族の心情が伝わってきた。また数は少ないが男性も参加されていた。私は従来、男性の方が女性よりも古い考え方や経験に固執する傾向があるのではないかと思っていたので、家族会で父親や男性が変化してゆく様子には感銘を受けた。ある男性が「人のせいに出来なくなるとわかるとイライラするし、うつになる。しかし妻に悪かったとだんだんと言えるようになるので、この時期のうつ状態は必要であると」語っていたことに誠実な姿勢を感じた。
 また家族懇談会では、一人ひとり順番に家族が現在の気持ちや出来事を語る。PSWがそれを聴き、話を整理し、導き、次の方向・段階へと進んで行けるように適確に働きかけていた。雰囲気が重くなりがちなテーマを扱っているのだが、暗くはなく、むしろさばさばとした明るい雰囲気がある。ここにいるのは仲間であり、みんなで乗り越えて行こう、という前向きな空気が部屋に満ちていた。これは司会をするPSWのお人柄、経験、知識の深さ、時に交える冗談のセンス等々の結果であると感じた。

 AC(アダルトチルドレン)メッセージ、家族メッセージ、ED(摂食障害)メッセージ、DR(ドラッグ)メッセージは、それぞれの依存症からの回復者が家族に向けて自分の想いを伝えるものであった。自らの生活史、家族関係、依存症になった過程や気持ち、回復に向けての道のり、現在の状況などを全て語る場である。具体的な体験を通じて依存症者の気持をより深く理解することができる貴重なメッセージであると感じた。摂食障害の回復者のメッセージでは、「きっかけは高校生時代のダイエットだったが、実際今考えてみると、小学生時代から食行動がおかしかった。例えば、学校から帰ると冷蔵庫の前に座り、食べ物をあさっていた。その時だけが落ち着いた気分になれた」と語っていた。小学生の頃からそのような兆候があったという事に私は驚いたが、同時に、幼い頃から「良い子」でいることを強いられていた彼女のストレスを思い、そのような行動が納得できると感じたのである。回復者からのメッセージは説得力があるし、具体的であった。回復者からの言葉は家族にとって非常に大きな励みになり、とても良い方法であると思った。

 院内ミーティングでは、院内家族ミーティング、院内アルコールミーティング、院内EDミーティング、院内DRミーティング、院内MD(処方薬依存)ミーティングに参加することが出来た。院内ミーティングは依存症本人たちのみの自助グループであり、本来はクローズド(Closed)ミーティングである。毎回リーダーとテーマを決まっており、参加者が言いっぱなし、聞きっぱなしで語る場である。他者の発言に批判はせず、傾聴しながら、一人一人順番に話すが、話したくなければパスすることになっている。
院内DRミーティングは、覚醒剤やシンナーなどの薬物依存症のミーティングである。参加して良いものか恐る恐るメンバーに打診したのだが、快く参加を許可して頂いた。メンバーがとても明るくミーティングをやっている姿が印象的であった。またミーティング終了後に参加者の一人が「質問があればしてください。自分たちも将来心理職につかれる方がこういうことを知っておいてくれたほうが良いと思っているから」と言ってくれたことに、驚きと、喜びを覚えた。質問の答えとして、幻覚などの、一般的に聞かれる苦しい体験は一切した事がないと言っていたのは意外であった。何年も薬物乱用をしていても、大した問題がない人もいるということであった。また、「薬をきめる」という言い方には、実感があった。
 院内EDミーティングは重苦しい雰囲気で、参加メンバーが皆下を向き、他の人と顔を合わせないように話していた。途中たまたまメンバーの一人と視線が合った時、その目の鋭さに驚かされた。話すことをパスしたメンバーもいたが、その場に同性、同世代である私達、実習生の存在がなければ語ったかもしれないと思い、申し訳なく思った。各ミーティングに特徴が感じられた。

 私はもともとアディクションについてはあまり知識がなかった。そのため実習が始まる前に本など読み、準備をする必要があった。だから今回の実習はアディクションを勉強する機会にもなったし、実際実習によって、依存症についての私の関心が高まった。薬物依存といえば、覚醒剤やシンナーなどのような違法薬物のみを思いつきやすいが、それだけではなく処方薬や市販薬の乱用や依存があり、深刻であることには違いがないことなどにも気づかされた。

 そしてまた改めて家族機能の大切さを実感した。家族が尻拭いをしないことが大切であるということは、とても納得できた。しかしそのタイミングや方法には専門家の助言なしでは難しい点があると思った。人を変えること、人を動かすことの難しさ。最終的には自分のことは自分にしか変えられないことなどを理解できた。治療には時間がかかるが、しかしそれは意義のある時間かもしれない。

 人はなかなか安心できる場所、本音を言っても良い場所を持ちにくいので、懇談会や、ミーティングなどの場所は非常に大切である。また仲間の大切さを思い、自助グループへの参加の必要性を感じた。
 色々な会に参加しているうちに、自分自身の過去についても考え身につまされることも多かった。話されている内容が自分自身にもあてはまりどきっとした事が何度もあった。また他人の話を聞く大切さは、日を追うごとに分かってきた。自分だけではないのだ、と言う気持ちは私も感じながら聞いていた。しかし自分の感情を言語化する大切さと同時に、困難さも感じた。私自身を見つめる機会にもなったと思う。また言いっぱなし、聞きっぱなしで本音を語れる仲間がいることに、羨望を感じている自分に正直驚いたのである。

 5日間の実習であったが、朝8時の朝食から夜の院内ミーティングが終了する8時半頃まで、毎日忙しく、充実した時間であった。夕方にはPSWの樋田先生が必ずお時間を取ってくださり、質問に答えてくださった。お忙しいところを、私のどんな質問に対しても、分かりやすく教えていただいたことを大変感謝している。樋田先生が言われた、「治療側(私達)も感性を磨く、内面(起きている気持ち)を感じられるようにする。そして言葉にする事も大切。それプラス知識を使う」というお話が心に残っている。

 また院長、先生方、看護師の方々、事務の方、すべての方がとても親切にしてくださり、大変嬉しく思った。私は実習前に病院のホームページを見て依存症関連のビデオがあることを知っていたので、ぜひそれを見たいとお願いしたところ、早速院長がお勧めビデオを5本も貸してくださった。とても勉強になる内容の貴重なビデオであった。また病院に隣接している赤城苑という介護老人保健施設のことを知りたいと思ったところ、総婦長が案内してくださり、細かく説明をして内部を見せていただけた事も大変感謝している。

 大変充実した日々を過ごすことができ、とても貴重な体験をさせていただいたと考えている。授業や教科書などからの知識も大切であるが、病院実習は頭だけでなく、体全体で受け入れるという実感がある。実習させていただく機会を得た事に感謝し、この刺激を今後につなげて行きたいと考えている次第である。(2002年3月、Kさん、心理学専攻大学院生)


ホスピタル研修体験記 5 「ミーティングや自助グループの中に身を置いて、・・・」

  AFK(アディクション問題家族懇談会)では、アディクション問題を抱えている人のご家族が参加されていました。一人ずつ順番に自分の困っている状況や自分の考えたこと、感じたことなどについての話をされ、それに対してソーシャルワーカーの方がコメントや対処方法などを述べられていました。家族の方は、同じような問題を抱えていることが多いので、仲間の話を聞くことはとても役立つだろうと思いました。AFKが初めての人もいれば長く通っている人もいました。参加し始めたばかりの方が事実だけを述べられていたのに対し、長く参加している方は自分の考えや感情、行動の意味づけや反省などを話しているのがとても印象的でした。

 AKP(アディクション問題教育プログラム)には、アルコール依存症本人が参加するプログラムと家族の方が参加するプログラムがありました。依存症からの回復にとって、家族の理解と協力が必須なので、本人のためだけではなくて、家族ための教育プログラムが別個にある訳です。本人と同じ程度、時にはそれ以上に家族への対応に努力しているという病院の意気込みを感じました。教育プログラムでは、依存症本人、家族の方が疑問に思う事を直接スタッフに質問できるので、アディクション問題の基礎的情報を学び整理するために重要なプログラムだと思いました。参加されている家族の中には、本人が病気を否認しており、家族だけが治療に参加しているという場合もありました。家族の方が、ソーシャルワーカーの方や他の家族、回復者に色々なことを指摘され、自分の対応を修正してゆくのを見て、その効果に感心しました。

 AC(アダルトチャイルド)メッセージ、家族メッセージ、ED(摂食障害)メッセージ、DR(ドラッグ)メッセージは、回復者(メッセンジャー)が関係者(家族の立場の人)に自分の体験や気持ちをつたえるミーティングです。メッセンジャーの方が話を終えた後に質問を受けつける時間もあり、家族の方にとって大変参考になるのだろうと思いました。EDメッセンジャーの方にはメッセージミーティングの後に私たち研修生のために特別に時間をとっていただき、いろいろお話を伺うことができました。

 院内ミーティングというのは、入院中の患者さん方が自主的に行っている自助グループ的なミーティングです。その多くは、朝、夕の2回、行われていました。私たちは、アルコールミーティング、家族ミーティング、ドラッグミーティング、処方薬ミーティング、摂食障害ミーティングに参加する機会を得ました。これらのミーティングではいずれも、「言いっぱなし聞きっぱなし」など、一定のルールのもとで各参加者が自分の気持を話します。ミーティング中とその前後の雑談中では全く雰囲気が違うのに驚きました。

 プログラム以外でも、家族の方々同士、入院中の患者さん同士で活発な交流があるようでした。回復者の方や依存症本人の方が、仲間の存在は何よりも大きいと話しているのを何度か耳にしました。研修中の5日間、私もミーティングや自助グループの中に身をおいて、その重要性を実感することができました。貴重な体験でした。(2002年3月、Uさん、心理学専攻大学院生)


ホスピタル研修体験記 4 「家族全体の問題だということを学びました」

 私は医師を目指す学生です。以前にある報道番組を見たのがきっかけで、アルコール依存症に興味をもっていました。しかし、学校の授業や病院実習の中でアルコール依存症について触れられることはあまりなく、このままでは、アルコール依存症の患者に出会っても、何もできない医師になってしまうと不安に思っていました。そんな時、たまたま地元群馬に赤城高原ホスピタルというアルコール専門病院があるというのを知り、今回4日間(2001年12月)という短い期間でしたが、研修させていただきました。研修では、樋田ソーシャルワーカーの御指導のもと、AFK、AKP、家族メッセージ、ACメッセージ、EDメッセージ、DRメッセージを見学させていただきました。

 アルコール依存症について興味を持っていながら、教科書的なことは勉強していましたが、実際の治療については全く不勉強であった私にとって、この4日間は、大変勉強になりました。その中でも印象に残っているのは、第一に、アルコール依存症は患者本人だけの問題ではなく、家族全体の問題であるということ、第二に、患者はイネイブラーの存在によりアルコールの長期飲酒を可能にしているということです。もし、私がこれらのことを知らずに医師になっていたら、たぶんアルコール依存症を患者本人だけの問題であると捉え、家族のケアを怠たり、「アルコール依存症維持システム」という悪循環から家族を抜け出させることができなかったのではないかと思います。今考えると、とても恐ろしいことです。

 最終日の家族ミーティングの終わりに、家族の人達に自己紹介と見学させていただいたことについてのお礼をしたのですが、その際、ある人から「いい医者になってね」と言われました。私は「はい」と答えましたが、アルコール依存症の実際の治療について不勉強であったように、自分にとって不勉強である部分はまだたくさんあると思います。これから、患者にとって「いい医者」となれるように、日々努力していきたいと思います。

 最後に、竹村院長先生をはじめとするスタッフの方々には大変お世話になりました。特にソーシャルワーカーの樋田さんには、毎日ミーティングの後にお時間を取っていただき、私の見当はずれな質問にも、きちんと対応して下さいました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。 (2001年12月、新井誠二さん、群馬大学医学部医学科5年)


ホスピタル研修体験記 3 「自助グループのパワーを体験しました」

【実習内容】
1)院内ミーティングでの実習
院内ミーティングには、院内アルコールミーティング、院内家族ミーティング、院内 ドラッグミーティング、院内エモーションズミーティング、院内処方薬依存ミーティ ング、院内摂食障害ミーティングの6つがあり、朝夕の2回行われていました(摂食 障害は夕のみ)。日替わりでリーダーを決めて進行していました。原則として「言いっぱなし聞きっぱなし」というルールで、安心して本音を話せるような場所がそこ では保証されていました。院内ミーティングは毎日あるので、主に「その日に起きた出来事」について話をする人が多いように感じました。私も実習期間中は欠かさず院内ミーティングに参加し、他のメンバーと同様に発言しました。本音を話すことがで きるということがこれほどに「自分を楽にする」効果があるということを学びまし た。

2)AFK(アディクション問題家族懇談会)での実習
 AFKには家族問題全般を対象にしたものと、とくに親子問題を対象にしたものと がありました。いずれもPSWがその司会進行役を担当していました。参加者としては、嗜癖者本人以外の家族だけが参加することが可能でどちらも毎回20数名の方々が集まっていました。内容的には、主に家族が直面している現状の問題をテーマに取 り扱い、そのなかで参加者が気づきを得るような働きかけを行うことがPSWの役割でした。参加者が自分の番になって話はじめると、それ以外のメンバーはその話に対 し真剣に耳を傾けて聴いていました。参加者自身が「自分を変えたい」という気持ち一心でこのミーティングに臨んでいること、そして「自分を変えよう」と努力している懸命な姿に私は深い感動をおぼえました。

3)AKP(アディクション問題教育プログラム)での実習
 看護師、PSWなどがグループリーダーとなって、次のようなことを参加者の方々とミーティングしていました。(1)依存症そのものについての偏見と誤解 を克服し正しい知識を学ぶ。(2)依存症本人への「対処」の仕方を具体的に学ぶ。 たとえば問題行動に対してどんな態度をとったらより良いか、病院への受診をどう勧 めるかなどを考えていく。(3)依存症をもった家族の方々が今よりも安定した精神 状態でいられることを目指す。基本的には知識を身につけることに重点が置かれていたので、依存症について体系的に学ぶことができたと思います。そのおかげで混乱し ていた頭が自然に整理されてくることがわかりました。人の話を聴くことばかりではなくこうして適度に専門的な知識を仕入れることも重要だと思いました。

4)AMK(アルコール問題懇談会)での実習
 アルコール依存症の本人を対象にしたグループミーティングで、スタッフとして医 師、看護師が参加していました。形式として、最初にスタッフ側からテーマ が出されて参加者はそれについて発言をしていました。明るい話題ではないせいか、 ほとんどの人が暗い表情を浮かべて話しているのが印象的でした。また、入院生活が 長い人ほど話が上手な人が多いような気がしました。人前で話すことにより自分と向き合う機会を何度も経験してきたからかなと思いました。

5)メッセージミーティングでの実習
 このミーティングは、メッセンジャーと呼ばれる病気から回復した人たちが担当していて、参加者は本人の家族のみが対象でした。私は、アダルトチルドレン、薬物乱 用者、摂食障害回復者のミーティングに参加できました。ミーティングがはじまるとメッセンジャーはこれまでのいきさつについて話し、残りの時間を参加者との質疑応答のために割り当てました。メッセンジャーを通して本人の気持ちを知ることができるのが特徴的でした。本人のことを理解したいと願いつづけてきた家族にとって、メッセンジャーの存在がとても重要であることを私は肌で感じました。

6)渋川AA・EA(院外自助グループ)での実習
 週に一度、渋川駅周辺にある教会の一室にてAA(アルコホリックアノニマス)とEA(エモーションズアノニマス)は行われていました。どちらもオープンミーティ ングなので当事者本人以外でも参加することができました。まずミーティングハンドブックを輪読することから始まり、次にテーマに沿って自分の気持ちを順番に話しま した。参加者の大半は地域で生活しているので、院内ミーティングよりも話が発展し た内容であるように感じました。そして何よりも圧倒させられたのが、何度も自殺を考えた人たちが今を生きようと努力していることでした。私はその人たちの姿を見て人間の底力ともいうべき生命力を感じました。

7)酒害関連問題研修会(群馬県立精神保健福祉センターにて)での実習
 群馬県前橋市にある精神保健福祉センターにおいて、月に1回、赤城高原ホスピタ ル院長が中心となり酒害関連問題研修会が開かれていました。アルコールに悩む本人及び家族の方々が各地より集まってミーティングを行っていました。内容的には、当院で行われている院内ミーティング形式と同じでした。また酒害関連研修会は、ミー ティングとしての機能を持つと同時に当院の出先機関としても機能しているので地域 社会とのネットワークの重要性についても学ぶことができました。


【実習の感想】
 ある時、患者Aさんとの会話のなかで「自分を見つけた」と思えたことがありまし た。実際は「わかりかけてきた」という方が正しいのでしょうが、そのときのことは 忘れられない出来事として印象に残っています。ミーティングが終わった後、たまたまAさんと私は一緒に昼食を食べる機会がありました。入院されて来たばかりのBさんはこちらの生活にまだなじめていない様子で、わからないことを私にいくつか質問してこられました。そのなかの一つに、「ここに来てはじめて気がついたことってあ りませんか」という旨の質問を受けました。私がしばらく黙って考えていると、Bさんが口火を切ってこう言いました。「ここに入院して来てからというもの、ミーティ ングでいろんな人の話を聴いていると自分にも共通しているところがたくさんあるので驚きました。いままで病気であることを頑なに拒否してきた自分だけに、皆の話を聴いているうちにだんだんと病気を受けいれるようになれた自分が不思議でした。それからですね、自分を治そうと思いはじめたのは」。Aさん程にはいかなくても、ちょうど私もAさんと似たような体験をしていたのです。これまで生活してきて何ら問題としてこなかったことが問題であることに気がついたり、よく同じ失敗をくり返してしまったりする理由が自分のなかで判明したことなどについて、自分のことが薄々とわかってきたのです。私は、Aさんも私と同じような体験をしたのだなと思うと自分を肯定してもらっているような気がして少し安心しました。するとAさんも私の話を聴いてピンときたのか、その後お互いに不思議だねと言い合って過ごしたことがありました。おそらく、このような体験はミーティングに参加している人たち全員に共通したことではないかと私は思います。また、この体験こそが自助グループの持つパワーの源だと私は思いました。たった1ヵ月間の実習でこのような貴重な体験が出来たことは、これから勉強していく上でとても良い刺激になりました。是非、将来につなげて活かしていきたいと思います。(2001年10月、野瀬光司さん、川崎医療福祉大学学生)


ホスピタル研修体験記2 「1日でしたが、中身の濃い充実した研修でした」
                             
 私は、月曜日のプログラムであるAFK(アディクション問題家族懇談会)、AC(アダルトチルドレン)メッセージの見学研修をさせて頂きました。

 AFKでは、まだグループに入られて間もない家族の方も多く、最初に、担当スタッフからアディクションについての概要が説明され、家族の方から、一人一人現在の状況を発言していかれました。その状況に対して、スタッフからは、客観的な見解が述べられると共に、丁寧に時間をとってアドバイスをしていかれました。

 家族は、他の家族の方の話を聞いて、共感し、自分意外にも苦しんでいる仲間の存在を知ることで癒され、他の家族の姿に、自分自身の現状を照らし合わせ、振り返ることが出来ていたのではないかと思います。

 司会のスタッフの方は、家族の状況を整理しながら、確認することで、問題を明確化し、詳しい説明を加えていかれ、聞いていて、私自身も知らない事が多く、大変勉強になりました。

 ACメッセージでは、自助グループに参加している、ACの回復者の方が、参加している家族の話を聞き、子どもの立場としての思いを語ったり、“自分はこう思っていたから、こんな風に対処してほしかった”などと、体験が語られていました。回復者としての体験は、時に生々しく思いが伝わり、説得力のあるものでした。家族は、回復したメンバーの姿を見ることで、希望を感じることもできるだろうし、改めて自分のとっている行動が、子どもにどう影響するか等考えさせられ、参考になっていたと思います。

 回復者の方の「もっと自分の事を見つめて、自分自身を大切にして下さい」という言葉が印象的でした。きっと、自分の親にもそう伝えたかったのだろうな...と思いながら、聞いていました。回復者の方も、自分の思いを家族に伝えることで、自分自身の家族に伝えるような疑似体験ができ、その体験は、回復者の方の成長にもつながっているのだと感じました。
  
 グループへ参加した後には、樋田ソーシャルワーカーにお時間をとっていただき、お話をうかがいました。いろいろな質問に対して、丁寧に教えていただきました。家族のグループに対しての心がけや、導入方法、また、アディクション問題の治療方法等、幅広く説明して頂き、大変勉強になりました。

 一日の研修でしたが、大変中身の濃い、充実した研修となりました。(2001年9月、病院PSW)


ホスピタル研修体験記1 「第一印象は、明るい病棟と周辺の深い緑でした」

 この度縁あって、赤城高原ホスピタルで4日間の研修を受けることができました。研修内容としては、病棟内視察、ナース申し送りの見学、治療プログラムの解説、依存症の特集でホスピタルが取り上げられた過去のテレビ番組やホスピタルが取材協力した嗜癖問題関連教材ビデオの鑑賞、アルコール症本人、配偶者のための自助グループの見学、アディクション問題家族懇談会の見学、依存症の心理についての講義傍聴などです。

 赤城高原ホスピタルの第一印象は、大きな窓から光が沢山入るようにデザインされた明るい病棟と病院周辺の深い緑でした。

 教育ビデオやTV放送ビデオはメッセージがストレートで衝撃的なので、続けて何本も見た私は少し疲れましたが、院長にいただいた文献が感情的になりすぎる私にブレーキ役をしてくれ、助けてくれました。

 病院には、それぞれの患者さんの関心・意図に合わせて様々なサポートがありました。自助グループを見学させて頂いたことは言葉で言い尽くせないほどの価値がありました。私たちは、日常生活で自分の感じていることに気づいていないことが多いものですが、自助グループでは、出席者それぞれの症状や悩みはどうであれ、発言者が自分の心中にあるものを言葉にして自己確認するだけではなく、仲間と共有しようとしていることに感動しました。日本では、何事も恥に感じ隠す傾向のある"恥の文化"が特徴的だと聞いていましたが、その傾向とは反対に、自助グループでは、患者さんたちが自分の恥や家族の痛みを言葉にし、他の人たちと共有し、自分のタブーを乗り越えようとしていることがとても印象的でした。

 アディクション問題懇談会では、司会するケースワーカーの樋田さんが皆の話を受け止めて、参加者に恥じる気持ちを起こさせないようにユーモアを交えながら、皆がほんの少し無意識にしている行動に対する認識を深めるのをサポートするのをみて、さすがに上手だな、と感服しました。樋田さんの助けによって、参加者が他の人の話を一生懸命聞いて自分に当てはめ、自分の行動を振り返っているのがとても印象に残りました。

 一日の中でいくつものグループに参加し自分の内面を見つめている方、自分の気持ちや周囲の人たちからの学びや気付きなどを熱心にノートに書きとめている方が何人もいました。抱えている問題は皆さん深刻なのに、ユーモアのセンスがある患者さんがいたり、自分の似たような体験を話して他の患者さんの痛みを暖かく包み込んでサポートする患者さんがいたりすることも心に残りました。

 依存症の心理の講義では、境界線の大切さについての説明に入った時、具体例として「職員による患者さんの境界線内への侵入」が挙げられ、職員と患者さんの間にも境界線が存在するということがオープンに話されていました。それぞれの立場を尊重し、自己を守るという意味で、学ぶところがあると思いました。ホスピタルが健康的な人間関係の学びの場として機能していること、そこに包容力の大きさを感じました。

 私はこれまでアメリカでカウンセリングの研修を受けてきたために、日本での病院見学は初めての経験でしたが、ナースから医局スタッフへの申し送りの見学をして、また廊下などでの患者さんと職員の方々の会話を耳にして、職員の方々の細やかな気配りを感じました。

 全体を通じ、院長を始め皆さんがとても親切にしてくださってとても快適な研修ができました。本当にありがとうございました。 (2001年8月、Mさん)


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または、昼間の時間帯に、当院PSW(精神科ソーシャルワーカー)にお電話してください ⇒ TEL:0279-56-8148

AKH (初版: 01/09/06)


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