【シンナー乱用者家族からのメッセージ 】
(改訂:03/09/21)
[メッセージ1] シンナー乱用の息子をなくして(1)
結婚したときから夫は大酒のみでした。当初は、仕事を終えての晩酌ですんでいたのですが、結婚10年後位からは、休日には朝から飲むし、普段も時々、昼間から酒臭い息をしていました。私が注意をしても、「そんなことは分かっている。何も言うな」と大声で怒鳴るので、どうすることもできません。子育てで忙しい私は、夫のお酒の問題は見て見ぬふりをしていました。子供の事で夫に相談しようとしても、酔っていて話題が飛躍するし、時にはイライラして機嫌が良くないし、ということが多いので、私も子供たちも次第に夫を当てにしなくなりました。「子供が高校を卒業して、社会人になったら離婚しよう」と私は心に決めていました。2人の娘は、無事に社会人になりました。末っ子の長男、和男(仮名)が中学生の頃から、夫の飲み方はますますひどくなってきました。
長男が高校1年の2学期に、突然学校を止めたいと言い出しました。理由を聞いても、ただ止めたいと言うばかりです。担任の先生にも相談しましたが、どうにもなりません。結局、1ヵ月間様子をみた後、息子は高校を退学してしまいました。息子はアルバイトをし始めました。半年後、今度はバイクが欲しいと言い出しました。私が危険だから駄目だと言っても聞き入れず、暴言、暴力が始まります。夫に相談しても、夫は酒の勢いで、息子とつかみ合いのケンカをするだけで、役に立ちません。とうとうバイクを買うことになりました。その頃から、息子は時々無断外泊をするようになりました。私が注意をしても、ほとんど上の空です。ある日、和男が友達を数人連れて来たとき、シンナーを吸っていることが分かりました。問題はどんどん悪化してゆきました。警察に補導されたり、バイクの事故を起こしたり、家出をしたりという状態で、家族全員が息子に振り回される毎日です。今では、夫の酒よりも、長男のシンナーの方が、トラブルの中心でした。私は心も体もボロボロになっていました。この子さえいなければ、わが家は安泰なのに、と思うようになりました。
そんなある日の午後、息子の友人から電話があり、「今晩、和男君に会いたい」と言うのです。嫌な予感がしたので、迷いましが、夕方5時頃、帰宅した息子にそのことを伝えました。息子は夜の8時に、バイクで出掛けました。私は「気をつけてね。早く帰ってきてね」と言って送り出しました。嫌な予感がして、その夜私は寝付けませんでした。うとうとしていると午前0時半頃、突然わが家に警察官が2人やって来ました。「お宅の息子さんだと思いますが、交通事故を起こして、救急車で入院されました。意識がありませんので、確認をお願いします」と言われ、私は頭の中が真白になりました。夫はいつものように酔っていましたが、口が利けず、腰を抜かしていました。
ところがその瞬間、混乱の中で、私の思考は、私の意志のコントロールを離れ、勝手に反応してとんでもないことを考え始めました。「ああ・・・、これで助かった。もう、息子に振り回されることはないんだ。神様が助けてくれたんだ」と、ほっとしたのです。次の瞬間、「何を馬鹿なことを考えているの」と私は、我に返り、自分を叱りつけました。
急いで病院に行ってみると、たくさんの管につながれて息子が
ICU のベッドに横たわっていました。息子は頭を強く打って、広範な脳挫傷を起こしていました。心臓だけは動いていましたが、脳死状態でした。3日後に心臓も止まり、息子は一言も言わずに逝ってしまいました。私は、「この子さえいなければ」と思ったことを、一心に息子に詫びました。でもどういう訳か、涙は出るのに心の底から泣くことはできず、不思議な気持でした。
葬儀を済ませた後、警察の方から、息子が、シンナーを吸ってバイクを運転していたことを聞きました。私は放心状態で、2ヵ月間家で休みました。その後、辛いことを忘れるため無茶苦茶に働き、疲れてまた家で休養をとりました。その繰返しで2年がたち、3年目の息子の命日が近づくにつれて、私はどうにも気持が落着かず、情緒不安定になってきました。交通事故の前、すごく嫌な予感がしたのに、出掛ける息子を止められなかったこと、事故の報告を受けて、「これで楽になれる」とほっとしたこと、純粋に息子のことを悲しむことができなかったことなどを考え始めると、罪悪感で息が詰まりそうになり、仕事も家事もできなくなりました。
3年目の命日の直前に、私は自分自身の心の癒しのためにアルコール症専門病院に入院しました。心と体を休め、本当の自分の気持を話すことができ、心の底から泣くことができました。息子の命日も過ぎ、気持も楽になり元気を取り戻して退院しました。アルコール症の夫とは、その後別居し、最終的には離婚しました。今、私は仕事に生きがいを見いだしています。
それにしても、酒害家庭、アダルトチルドレン、若年者の薬物問題などについて、もっと早く学んでおけば良かったと思います。私の手記が、酒害や薬物問題に悩むご本人やご家族のために、少しでもお役に立てればうれしいです。(A.M.さんの手記、1999/11)
[メッセージ2] シンナー乱用の息子をなくして(2)
勝ちゃん、と名前を呼んでも、もう返事してくれへんのやなぁ。
もう喧嘩する事もできないんやなぁ。
18歳以上のアンタを見る事は、もう誰にも絶対にできないんや。
アンタ、あほやなぁ。
アンタが逝ったなんて、まだ信じられへん。
お母さん、寂しいわ。
「腹減った」ってひょいと帰ってきそうな気がしてる。
お爺ちゃんによぅ頼んでおいたからな。
ちゃんとついて行くんやで。
18年しか生きてへんけど、アンタ、結構好きな事してきたやろ?
この世に未練持ったらアカンで。
勝ちゃん、18年傍にいてくれて、ありがとう。
あんまり良いお母さんやなかったなぁ。許してな。
借りたお年玉、とうとう返せんかったなぁ。
かんにんしてな。
勝ちゃんの事、絶対忘れへんしな。
みんなの事、見守っててや。
勝ちゃん。
天国で静かに眠りや。
最愛の息子が逝った。
「お母さん、驚かないで下さいよ」突然の警察からの連絡で現場に駆けつけた。
クルクル回るパトライト。たくさんの警察の人。まるでテレビの刑事ドラマのシーンを見ているようだった。自分でも現実なのか夢なのかよく分からなかった。
あの子と対面したのは警察署の裏だった。冷凍庫から出てきたあの子はちょっと苦しいような顔をして静かに眠っていた。ほっぺを触ると凄く冷たくて、でも私はまだ現実を受止められなくて涙も出なかった。
息子が司法解剖から帰ってきた。どうしようもない悲しみと寂しさ、悔しさが一度に私を襲ってきた。解剖の結果は「シンナー吸引に因る溺死」
場所は電車線路下の空洞の中。入り口にはフェンスも立て看板もない。そこに疎水があって周りは囲いどころか段差もない。その疎水の中には20cmの水があり、多数のブロックが不法投棄してあった。
そこに落ちてブロックで頭を打ち脳震盪を起こして、吸った水が肺に入って「溺死」した、なんて言われても私には納得できなかった。
告別式の夜、金縛りの中で私は最後のあの子の姿を見た。
「何でみんな俺に気がついてくれないんだろう」
あの子は傍にいた友達に助けを求めたに違いない。そしてあの子は思った「パパなら俺を助けてくれるのに。パパなら自分を犠牲にしても、きっと助けてくれるのに」
決して来る筈のない父親を、奇跡を信じてあの子は待った。そして最後の瞬間「誰でも良い。誰か俺に気づいてくれ。今ならまだ間に合う。頼むから助けてくれ」
そう思いながらあの子は逝った。一緒に遊んでいた友達もシンナーを吸っていたから息子が落ちても気がつかなかったのだろうか?肺に水が入って苦しくてバチャバチャともがいているのに、ふざけているとでも思ったのだろうか?
いや・・・違う!友達は異変に気がついていた。息子が落ちる水の音も、息ができなくて苦しくて暴れる水の音もちゃんと聞いていた。
友達が、携帯を持っていながら電話した先は警察でも救急車でもなく、自分らの連れの所だった。友達は自分らがシンナーを吸っていた事を親や警察に知られたくない為にウチの子を見殺しにした。自分らの友達に電話をしても、誰にもまともに取り合って貰えず その電話を本気で聞いたのは、たった一人。
その間40分経過。2時間後現場に到着。息子をそのままにして逃げようとした若い子らを見つけた近所の人が「早朝から若い子らがウロウロしている」と110番通報。巡回中のパトカーに捕まって事件が発覚した。
幾つもの偶然が重なって、息子は死んだ。
あの日、ウチの子を友達が誘いに来なかったら。あの場所に行かなかったら。
疎水の周りに段差があったら。水がなかったら。ブロックがなかったら。
そして、そして、シンナーを吸っていなかったら。
これらの一つでも欠けていたら、息子は命を落とす事はなかった。
息子がシンナーをやっているのを知ったのは事件の丁度一ヶ月前だった。
タクシーで帰ってきた息子は、いつもの息子ではなかった。
運転手さんが「取り返しつかなくなる前に警察行った方が良いよ」と私に言った。
その言葉が引っかかっていたが、正気に戻った息子が「もう絶対にしない」と誓っていたし、息子可愛さで私も警察に突き出す事はできなかった。
しかし私はもっと事を真剣に受止めるべきだった。息子の行動を気にかけるべきだった。その頃私は飲食店を経営していて、水商売は素人だった事もあって仕事の手配に必死だった。息子は17年過ごした住み慣れた土地から引越ししてきて寂しかったに違いない。知り合いや友達は新しい場所には一人もいなかったのだった。やっとできた友達に誘われて出て行って、初めて連れて行かれた場所で息子は帰らぬ人となった。
息子を失った悲しみや寂しさを私はお酒で紛らわした。飲んでは泣き、泣いては息子が逝った現場に走り、息子を放置した友達を恨み憎んだ。
何もする気力も気持ちも湧かなかった。お店が潰れるのに時間はかからなかった。
「お母さんって、お兄ちゃんだけのお母さんなの?」
下の子がポツリと呟いた。その日は小学校の卒業式だった。
私は・・・下の子の卒業式にも出てやらなかったのだ!
息子を亡くした悲しみから私はお酒に逃げた。気の強い上の弟は悲しみを自分の胸にしまい込んだ。
でも下の子は、悲しみが遠くなるのをただただ待つことしかできなかったに違いない。
お酒を飲んでは泣いてばかりの私を見てる事しかできなかったに違いない。
私は悔いた。悔いて謝って下の子を抱きしめた。
その瞬間、その子が声を出さずに涙をぽろぽろ流して私の背中にしがみついてきた。
その日から私は母に戻った。
息子が亡くなる数日前に、自分の頭を叩きながら「こんなんじゃダメだ。シンナーはやめなアカン。分かっているのに何で意志が弱いんだろう。もっとしっかりしなければ」と言っていたと聞いた。あの子はサインを出していたのだ。
もっと、私があの子を直視していたら。シンナー吸引は恐ろしい事だと、もっと重く受止めていたら。もっと真剣になっていたら・・・。
あの子の命を奪ったのは誰でもない、この母かも知れない。 (Tさん、2003/09/19)
「院長からのコメント」
上記メッセージ2は、当院HPビジター、Tさんからのメールを転載したものです。院長はTさんにお目にかかったことはありません。
Tさんは、メッセージ1を見てメール(03/09/19)をくださりました。院長からご返事を差し上げ、お願いをしてここにメールを転載させていただいたのです。
転載許可のメールとともに「息子のようにシンナーで命を落とす人がなくなりますように。そして、私のように後悔する母親が一人でも減りますように」とのメッセージもいただきました。Tさんに感謝し、勝ちゃんのご冥福とご遺族のご幸福をお祈り申し上げます。
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⇒ TEL:0279-56-8148
文責:竹村道夫(1999/11)