【 摂食障害と対人恐怖、仲間からのメッセージ 】   赤城高原ホスピタル

(改訂 2001/03/07)


[目次]   [はじめに] [今の私には、乱視0.7の視力がちょうどよい] [対人関係の悩みは生まれて以来ずっと続いています] [やせていることは困難な人間関係に対応する手段でした] [体型が原因、対人関係はその結果、と思い込んでいました] [対人恐怖症を合併しています]  [対人恐怖と摂食障害と、どちらの回復が先かは分かりません]   [称賛という評価なしには生きられない人間になってしまいました]  [子どもの頃から、お前の顔は汚らしく醜い、と言われてきました]  [入退院の繰返しですが、それでも少しずつは変わっています]  [いじけ虫に生まれたのではありません。いじけ虫になったんです]  [泣きたいときに泣く]  [油性インクは消しゴムでは消せません] [味方がいっぱいいると分かりました]


はじめに  「嫌われるのが怖い−摂食障害の方に共通の対人関係」
 たくさんの摂食障害の方をみていると、彼女たち(男性もいます)の対人関係のよく似たパターンに気がつきます。とにかく周りの人達の視線が怖い。非難されるのではないか、嫌われるのではないか、仲間外れになっているのではないか、と戦々恐々としています。その恐怖のために長期間、家庭にあるいは自室に閉じこもっている人もいます。ニコニコ仮面で表面的だけ取り繕い、言うべきことも言えず、他人の言いなりになってストレスをためている人もいます。またせっかく赤城高原ホスピタルに入院しても1週間もいられず、仲間との共同生活に耐えられず、自主退院される方も少なくありません。

 この独特の対人関係は、実は摂食障害の原因の1つとも言うべきもので、安心感、安全感を持てない幼児期の家庭内環境で身につけた生残りの戦術です。この不適切で不健全な対人関係の持ち方は、その後の人生で修正されないばかりでなく、しばしば強化されて摂食障害発症につながります。
 拒食や過食・嘔吐など、摂食障害の表面的症状のみに気をとられ、食行動だけを治療しようとしてもうまくいかない事が多いのはこのためです。摂食障害の治療では、「ファッション狂いのやせ固執」といった皮相な見方にとらわれず、対人関係の問題に焦点を合わせることが重要です。ごく軽症の場合を除いて、一般に摂食障害からの回復は対人関係の回復なしにはあり得ません。

 ところで、摂食障害者の対人恐怖の中心症状は「嫌われるのが怖い」というもので、これは日本に多い古典的「対人恐怖症」の方々の典型的対人関係とはやや違っています。典型的対人恐怖症の場合には、赤面恐怖、視線恐怖、会話の間の恐怖などが主症状ですが、これらの症状は摂食障害の方では必ずしも特徴的ではありません。もっともこの両者の関係はもう少し複雑で、摂食障害に対人恐怖症を合併することがあります。このページでは、対人恐怖という言葉を対人恐怖症の症状よりもっと広義で使用しています。

 自分だけでなく、この恐怖は摂食障害に共通のものだということ、この恐怖自体が症状であること、この恐怖は、安全な環境で、時間をかけて治療することで、徐々に消えてゆくこと。このことを知ることは、治療初期の摂食障害患者と家族にとってとても重要です。

 そこでこのページでは、当院で治療中の摂食障害の方、回復(途上)者の方に、それぞれの対人恐怖を報告していただきました。 [TOPへ]


仲間のメッセージ 「今の私には、乱視0.7の視力がちょうどよい」
 私は日常生活ではコンタクトレンズもメガネもつけません。視力0.7の乱視で、5メートルより遠い所はぼやける視野が私にとっては楽なのです。とにかく、周りの視線が怖いから、あまりはっきり見えてしまっては困るのです。「周りの人が私を見ている。私は見られている」とわかると苦しくなります。人の顔がはっきり見えなくて、人の視線が私を見ているのか、他人を見ているのか曖昧で、すれ違うときだけ一瞬顔が見える、この視力が私の防護壁です。人のぬくもりは欲しいから、人込みに紛れていたい。でも、いつも誰かに見られ、評価されているという恐怖を抱えている私。こんな対人関係と摂食障害が関係していると分かったのは最近のことです。いつか周りの視線に左右されず、自由に生活できたらいいな。院長先生は「きっとそうなれるよ」と言ってくださるけど、・・・   (1999.09.01. N.S.さん)  [TOPへ]


仲間のメッセージ 「対人関係の悩みは生まれて以来ずっと続いています」
 わたしの場合、対人関係の悩みは生まれてからずっとついてまわっています。幼稚園に通っているときは、幼稚園バスのなかでは誰の隣に座るか悩み、小学生の時は、席替えやクラス替えのたびに、とても不安で居てもたってもいられませんでした。小学4年生のとき、隣の席の男の子につつかれたり、からかわれたりしたときは、死にたくなりました。小学6年生のときに、教育実習にきていた先生から性被害を受けましたが、このことは、最近まで誰にも話せませんでした。

 勉強もある程度できて、生真面目だったために、中学生のときは、自己の存在についてこだわりつづけました。考えていることも、だんだん哲学的になり、はっきり言ってクラスから浮いていました。自分でも世の中に適応しない自分を感じていました。このままでは駄目だと思い、鏡の前で笑顔をつくる練習をしました。この努力は実り、対人恐怖をごまかすことができたし、のちのち職につくこともできました。けれど、表面だけで無理につきあうために、かえって友達や自分自身をを傷つけて、苦痛を感じていました。

 一時期、外国人とつきあうことによって、恐怖感をまぎらわせました。外国人とのコミュニケーションは、最初から言葉や文化のハンディがあるので、怖くておどおどと接していても、それは”勇気”とみなされたからです。でも、それは自分の限界を知るだけに終わりました。

 ひきこもりをしているときは、車や電車などの乗り物に乗ることが恐ろしく、外で自分を知っている人に会うのが怖かったので、犬の散歩ぐらいしか外出できませんでした。なぜこんなことができないのか、と自分を責めれば責めるほど深みにはまるので、今はできること、できたことだけを評価するようにしています。 (1999.09.07. Tさん)  [TOPへ]


仲間のメッセージ 「やせていることは困難な人間関係に対応する手段でした」
 私は物心ついたときからずっと母親の顔色を見ながら育ってきました。母は機嫌が悪くなると、ヒステリックになってとても怖いのです。だから私はつらいことがあっても、淋しいときも、甘えたいときも、自分の感情を抑え、母の機嫌を損ねないことを第一に生きてきました。母の期待に応えることばかり気にかけてきました。成長過程でもその対人関係を修正するチャンスに恵まれず、成人になった今は、周りの期待にばかり気を使っています。

 私が摂食障害になり、病的にやせたのは、そんな生き方に疲れてしまったのだと思います。やせていることは困難な人間関係に対応する手段でした。やせた身体というよろいをつけていると友達に会うのも楽なのです。病的にやせていれば、それを自分に自信がないことの 言い訳にできます。説明しなくてもガリガリの身体が言い訳をしてくれます。

 体重が 20kg も増えてしまった今は、社会に対する防護壁をなくしたようで、人に会うのが怖くてたまりません。そんな日々の生活に疲れてしまうと、私は海外旅行に出ます。1年に1度は3カ月くらい海外で生活するというパターンがもう3年以上も続いています。不思議なことに成田飛行場に着いた途端、過食欲求がなくなります。日本を抜け出せば、誰の期待にも応える必要がないということが、気楽なのだからだと思います。

 インド旅行をした時、スラム街に住む貧しい人々が、気持ち良さそうに、楽しそうに川で体を洗っているのを見かけました。彼らは、不幸な人生に生まれても、ありのままの自分を受け入れて、楽に生きられる極意を身につけているようでした。私もあのようになれるかしら、どうすればなれるのでしょう。

 自分の気持を話す練習が回復につながるとカウンセラーが教えてくれました。今はミーティングでその練習をしています。 (1999.9.6. Y.T. さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「体型が原因、対人関係はその結果、と思い込んでいました」
 摂食障害を10年以上もやってきたので、私が太っているから人間関係がうまくいかないんだとこれまで思い込んでいました。体重の変動が激しく、いつも何かを食べていないと不安になる。こんな私を周りの人はどうみているのだろう、と恐ろしくなります。「太ったね」、「また食べている」などと言われた時には苦しくて死にたくなります。だからいつも周りの目を意識して、おどおどしながら生きてきました。いつの間にか、「体型と食行動が原因、対人関係がその結果」、と思い込んでいました。

 でもそれは、原因と結果を取り違えていました。そして、ここで治療をしている間に、私の恥辱感や罪悪感には、もっと深い意味がある。起源がある、ということが分かりました。
 私は子供のころから両親のケンカを見て、いつもおびえていました。まして私のことにからんで両親がケンカすると、子供心にも、私が悪い子だから、両親のケンカの種になるんだ、と思い込んでいました。私が両親のケンカに口を出すと、いつもケンカはもっとひどくなりました。私は周囲の大人の顔色をうかがい、自分の感情をしまいこむようになりました。自分の本当の気持は話せない。話すと嫌われる、とずっと思っていました。

 一方で、私には幼児期からずっと続く、親族や周囲の成人からの性虐待の歴史がありました。「親愛の」キスは、なぜかずっとディープキスでした。私はそれが嫌で嫌でたまりませんでしたが、口にできませんでした。なぜならその相手は養育者だったからです。それが性虐待に当たると分かったのは最近のことです。その男性からは、その後もっとはっきりした性被害もありました。それ以外にも、多くの成人からの多くの不適切なタッチングがありました。そればかりでなく、痴漢の被害、学校の先生からのセクハラ、成人してからの上司からのセクハラ、そういう体験が続き、その度に私の心の傷は深くなりました。「私は不潔な女。だからこういう扱いをされる」、「大人、とくに男性は信用できない」 、「結局のところ、男は私の体にしか興味がない」、 「私には性的対象としての価値しかない」。 こういった、間違った信念を修正するには、まだまだ時間が必要です。今の私は30歳にもなるのに、セックスや結婚ということが考えられません。      (1999.9.7. N.V. さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「対人恐怖症を合併しています」
 摂食障害でひきこもりを5年間していました。私の場合、対人恐怖症を合併していると院長に言われました。人見知りがひどく、人と接する時に緊張して、声が振え、体が堅くなり、自然に振舞えません。ぎこちなくなってしまい、私のぎこちなさが伝染して、相手の人もぎこちなくなります。私のために嫌な思いをさせて申し訳ないという気持と、このことに周りの人が気づくのではないかという不安で、頭の中がぐちゃぐちゃになって、訳が分からなくなります。皆がひそひそ話をしていると、私の悪口を言っているのではないかと怖くなります。      (1999.9. 1. R.T. さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「対人恐怖と摂食障害と、どちらの回復が先かは分かりませんが、・・・」
 1回目の入院時には3日で逃げ出しました。1年後に極限の痩せ状態で再入院になりました。今回も人が怖くて部屋から出られず、新しい人が入院する度に不安で胸が一杯になりました。「周りの人は私をどうみているのだろう」、「私を嫌っているのではないか」と心配ばかりしていました。そんな私でも我慢して入院を続けていたら、いつの間にかお喋りする仲間が増えてきました。ある仲間に「気の合わない人とまで仲良くする必要はない。誰でも苦手な人がいる」と教えられました。本当にそのとおりだと思います。正常なときにはそれが分かるけど、時々昔の癖が出て、「誰からも良く思われたい」、「私のことを誰よりも特別に思っていてほしい」という考えに取りつかれてしまいます。

 こんなのろまな回復を辛抱強く見守ってくれている家族、治療スタッフや仲間。大勢の人から愛情をもらって少しずつでも成長していけばいいかな、と思います。今度は逃げ出さずに5カ月たちました。 対人恐怖と摂食障害と、どちらの回復が先かは分かりませんが、15kg 増えた体重も今は許せるようになりました。      (1999.9.15. M.P. さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「称賛という評価なしには生きられない人間になっていました」
 今から考えると、私が両親からもらっていた愛情というミルクは、私がどこに出しても恥ずかしくない自慢の娘でいることで初めて飲むことが許されるミルクでした。いつの間にか私は、完璧な自分を演じることによって得られる称賛という評価なしには生きられない人間になっていました。中学生の時、ダイエットで1カ月に 10kg もやせたときにも、クラスで「やせたね。がんばったね」と言われると、その評価を失う恐怖が私の心を金縛りにしてしまいました。どんなに頑張っても私の欲しい安心感は得られませんでした。しかし赤城高原ホスピタルに入院して、仲間とミーティングで出会ってから私の中で変化が起こりました。安心感とは、自分を偽って演じることで勝ち取るものでなく、ありのままの私が与えられ、感じるものだ、と気づいたのです。家庭の中で得られなかった無条件の安心感を、私は今、ミーティングで仲間からもらっています。         (1999.9.16. A.T. さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「子どもの頃から、お前の顔は汚らしく醜い、と言われてきました」
 小学生の頃から対人恐怖で、中学1年生頃から拒食、中学3年生頃から過食になりました。嘔吐はできません。誰も信じてくれないかも知れませんが、子どもの頃から、母や家族からに「お前の顔は汚らしく醜い」と言われてきました。本当だから仕方ないと思います。人から見られるのが怖くてたまりません。みられると、自分がカラになり、消し飛んでしまうような気がします。人からみられていると思うと隠れたくなります。     (1999.11.  Y.U.さん)  [TOPへ]


仲間のメッセージ 「入退院の繰返しですが、それでも少しずつは変わっています」
 入院生活になじめず、短期の入退院を繰返しています。今回も、家に居場所がなくて苦しくて、ちょっと手首切りをして入院になったものの、1週間で退院です。私は嫌われている。みんな本当の私を知ったら嫌いになるに違いない、と思うと怖くてたまりません。

 こんな入退院の繰返しですけど、それでもこの3年で少しずつは変わっています。良い変化は、自宅の近くの自助グループに出られるようになったこと。悪い変化は、摂食障害に加えて、アルコール乱用がひどくなったこと。でもこの3カ月間は、頑張って断酒中です。こんなわがままな入退院でも院長はOKしてくれます。「あなたのペースで、少しずつでも回復して行けば良い」ですって。      (2000.01. A.K. さん)  [TOPへ]


仲間のメッセージ 「私はいじけ虫に生まれたのではありません。いじけ虫になったんです」
 先週の面接中、急に院長先生の目が怖くなってしまいました。私がもじもじしていたので、先生が「どうしたの?」と優しく聞かれましたね。私は泣くばかりでした。私自身、混乱して何と答えたら良いか分からなかったのです。

 子供のころ、私は父の目が怖くてたまりませんでした。酔った父は、「オレの目を見ろ」と言いながら私を殴り続けました。殴られても、蹴られても、怒鳴られても、私は父の目を見ることができませんでした。多分、父はもう覚えていないと思いますが、たった1度だけ、父の目を見たことがあります。その時、父は「なんだその目は、それが親を見る目か」といって、もう一度私をなぐりました。それ以来、私は、真正面から人の目を見ることができなくなりました。先日、先生の視線が怖くなったのも多分そのためです。

 あの面接の日の夜、突然この出来事を思い出しました。考えて見ると23年間、私は「いじけ虫」として生きてきました。だけどいま気づきました。私は「いじけ虫」に生まれたわけじゃありません。「いじけ虫」になったんです。もう、負けたくありません。院長先生、助けてください。           (2000.02. Yさん)  [TOPへ]


仲間のメッセージ 「泣きたいときに泣く」
 父親に酒乱傾向があり、酔うと暴力を振っていました。子供のころから両親の争いに巻き込まれ、小中学校ではいじめに遭いました。どこに行っても嫌われそうな気がして、身を縮めて生きてきました。高校生になると過食が始まりましたが、うまく吐けず、酒を飲んで吐くのが習慣になりました。睡眠薬のまとめ飲みも2回しました。高校2年で中退して最近3年間は自宅に閉じこもっていました。

 ホスピタルへの入院当初は訳が分からず、沢山の患者さんの中で自分の居場所を捜すので精一杯でした。面白くもないのに笑ったりして、知らず知らずに周囲に合わせ疲れていました。いい子はしなくてよい、ありのままのあなたでよい、と担当医やケースワーカーに言われても、どうしたらよいかわかりません。

 入院して2週間、ここでの生活の仕方がわかってきて、少しだけ楽になりました。要するに、喋りたいときに喋って、寝たいときに寝て、泣きたいときに泣く。これで良いみたいです。       (2000.03. M さん)  [TOPへ]


仲間のメッセージ 「油性インクは消しゴムでは消せません」
 「どうしてそんなに周りの人と比較するの」と院長に言われて思い出しました。物ごころがついたころからずっと、いい子で良い成績じゃなきゃ生きていちゃいけないと思ってきました。小学生の時から、ちょっとでも成績が下がると、外を歩くのも恥ずかしいと母に言われ、実際、町で知人が前から来た時、母は私を突き飛ばして急いで横道に入ってしまいました。「恥さらし、きちがい、能無し、役立たず、悪魔の子、呪われた血」など、ありとあらゆる言葉でけなされました。院長先生に間違った価値観だから、そんな考えは早く捨てなさい、といわれても、母に擦り込まれた生き方は油性インクのように心の襞に染み込んで、消しゴムでは消せません。    (2000.5.  E さん)  [TOPへ]


仲間のメッセージ 「味方がいっぱいいると分かりました」
 摂食障害+アルコール依存症+対人恐怖症、22歳女性です。今回で2回目の入院です。1回目は3日間で逃げ出しました。私はいつも他人からどう思われているかが気になって仕方ありません。のけ者にされるんじゃないか、嫌われているのじゃないかと気が気じゃありません。誰かがひそひそ話をしていると、私のことを言っているのじゃないかと怖くてたまりません。だから入院していても落着きません。今回は、今日で4日目、もう限界です。院長先生、看護婦さん、こんな私でも話し相手になってくれて、優しくしてくれてありがとう。世の中、味方がいっぱいいると分かりました。短期間だけど入院できて良かったです。  (2000年7月、K.K.さん)  [TOPへ]


「自分が摂食障害かもしれない」と思われる方、ひとりで悩まずに、信頼できる治療者か仲間と話されると良いと思います。

ご連絡はこちらへどうぞ ⇒ address
または、昼間の時間帯に、当院PSW(精神科ソーシャルワーカー)にお電話してください ⇒ TEL:0279-56-8148

AKH 文責:竹村道夫(初版: 99/09/09) 


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