【 摂食障害、200人の証言 】  赤城高原ホスピタル

 


[目次]  [摂食障害のタイプ] [発症のきっかけ] [家庭環境:親子関係] [家庭環境:同胞葛藤] [症状:食事/過食/嘔吐] [身体症状] [精神症状:自己評価] [症状:女性性/男性性] [合併精神症状・強迫症状] [合併精神症状・対人関係] [多重嗜癖] [自傷行為/自殺行為]  [医療] [軽快/回復] [死] [その他] (このページは、未完成、工事中です!!)


[摂食障害のタイプ]

嘔吐しない過食症です
 二十歳の時摂食障害になりました。入院して三食摂れる生活を送っています。人間関係で緊張することもあるけれど、今同室の人は年輩のアルコール症の人たちばかりなので落ち着けます。私は過食だけで嘔吐はしないので、嘔吐する人を見たり嘔吐している音が聞こえると怖くなるし、吐ける人がうらやましく思ってしまいます。自分の過食は、感情をはっきり表せない時に過食で置き換えたり、つらいことを忘れたりする為にしていたんだなと最近思います。(25歳、女性)

デブ専
 19歳の娘が、脂肪吸引と胃を縫い縮める手術をしたいと言い出しました。娘が15歳の時に両親が離婚、以来、母娘二人だけの家族です。実は娘は、短時間で大量の食べ物を詰め込むように過食をするやけ食い(binge eating)があり、体重も85kg(身長、158cm)もあります。そんな危険な手術に金は出せない、と言っていたところ、ある日の朝、家出してしまいました。置手紙があり、その中には、「デブ専といって、肥満女性専門の風俗があるので、そこで金を稼いで手術をする」と書いてありました。心当たりの場所を探し回り、やっとのことで娘を連れ戻しました。いつも冗談ばかり言っている朗らかな娘なので、そんなに深刻に悩んでいるとは思いませんでした。専門家を受診したところ、やけ食い症候群(binge eating disorder)と診断されました。母親想いの娘なので、口には出さないが、体型のことではずっと悩んでいるはず、悩みがあっても悲しい顔ができないお嬢さんのようなタイプを、「ニコニコ仮面」というのだ、と教わりました。(摂食障害娘の母、46歳) [TOP]


[発症のきっかけ]

ダイエットから
 中学生の頃、太っていると友達に言われ痩せたいと思いました。中・高時代は夕食を摂らないようにし、朝食も減らし、弁当も持参しなかったのですが、体重の変化はあまり見られませんでした。高校生の頃、風邪をひき嘔吐・食欲低下・体重減少があり、食べないようにしてもあまり痩せないならば、食べたい物を沢山食べて吐けば良いと気付きました。それ以来過食となり現在に至ります。(21歳、女性)

母に認めてもらいたかった
 兄はスポーツ選手で学校でも期待の星でした。母の眼はいつもそんな兄に注がれていました。兄はダイエットというか減量の為に家から学校まで走っていたので、母が兄の事を誉めていました。私も誉めて欲しくて走ったけれど私は誉めてもらえませんでした。私はダイエットをして初めて母の視野の中に入れた感じがします。スーパーに行っても「痩せたね」って言われてうれしかったです。痩せていればハイでいられるしおしゃれも化粧もできます。(19歳、女性)

断れなかった夕食
 高校のとき、夕食前に友人と食べに行ったのでお腹一杯なのに、母の作ってくれたご飯を断れず食べてしまいお風呂で吐いていました。それが過食嘔吐につながりました。(24歳、女性)

頭痛は口実
 母と祖母が頭痛持ちです。私も中学時代から頭痛で1、2日休むことがありました。家族もそういうものだと思っていました。でも私の場合、頭痛は口実で、実際には自室にこもって過食していたのです。過食がだんだん止まらなくなって、そのうちに過食嘔吐にはまってしまいました。家族の誰もまだ気づいていません。(18歳、女性)

過激なダイエットの訳
 高1の夏休み、女友達のところに行くと嘘を言って、実際にはボーイフレンド(16歳)とデイトしました。ある日、いろいろあって遅くなり、夜の8時に帰宅しました。連絡しないで夜遊びしたと両親にものすごく叱られました。両親は普段はけんかばかりしているのに、こういうときは協力できるので驚きました。問い詰められて、嘘を見破られ、最後には、勝負下着をつけているのを見つかり、とうとうセックスしたのを白状してしまいました。両親が彼氏とその両親を呼びつけて大騒ぎになりました。意気地なしの彼氏は、その後連絡しても知らん顔、他の女の子と付き合うようになって、それっきりになりました。親への反発と、きれいになって彼氏を見返したいのとで、過激なダイエットに挑戦し始めました。3ヵ月で10kg以上痩せたところまでは良かったのだけれど、ある日、突然過食が始まり、止まらなくなりました。

性的トラウマ、1
 祭日の午後、映画を見た後で、某駅前雑居ビルの比較的大きな雑貨店にふらりと立ち入ってみました。欲しい物がなかったので、上の階に行こうと思って階段を上りかけたところ、胸に写真入名札をつけた30台と思われる男性が近寄ってきて、「ちょっとお嬢さん、どうして呼び止めたか分かっているでしょう」と穏やかな口調で言いました。「わかりません」と答えると、「ピンクのアクセサリーを万引したでしょう」と小さいけれどはっきりした口調で言われました。確かにピンクのブローチを手にとってしばらく眺めたけれど、思ったより高かったので、元の場所に返したのです。「えっ、してませんよ」という声に重ねるようにして、男が「ここでは何ですから、とにかく事務所まで来てくださいますか」と言いました。そのとき私は大きめのバッグを持っていましたが、バッグの中身を見てもらえば、万引の疑いはすぐ晴れると思い、男についていきました。上りかけた階段を下りて、雑居ビルの狭い廊下を歩いていきました。ちょっと不安になりましたが、逃げたり嫌がったりしたら万引を疑われると思いました。薄暗い事務所に入ったと思ったら、突然男が表情を変え、「声を出したら殺すぞ」と言いました。そこで私はレイプされました。誰にも言えませんでした。16歳の春でした。

 ずっと忘れようと思っていました。数ヵ月後に激しい過食嘔吐と手首切りが始まりました。何ヵ所目かの医師に「性的なトラウマ」について聞かれ、ほとんど忘れていた事件を思い出しました。専門医に摂食障害の発症は事件と関係があると言われました。

性的トラウマ、2
 高校2年の夏休み、ちょっとした知人(男性)に強引に頼まれて女性の友人2人と一緒に飲み会に出ました。私を誘った男性のほかに、高校生か20歳前後の男性5人と女性2人がいました。知らない人ばかりです。見知らぬ女性2人はすぐにいなくなり、私の友人一人は9時前に帰りました。10時頃、私と残った友人も帰ることになりました。「遅くなったので、送っていく」と言って、男性たちが車2台に乗り込み、友人は先に自宅付近で降ろされました。私を誘った男性もいつの間にかいなくなっていました。私の家に送ってくれるはずの車がどんどん淋しい山道に入り込み、駐車した車の中で私はその日に知り合ったばかりの4、5人の男性にレイプされました。
 家の近くで捨てられるように車から降ろされ、家に帰って自室に閉じこもり泣きながら寝てしまいました。事件のことは誰にも話せませんでした。数年前から、両親は離婚騒ぎ、家の中は既に多すぎるトラブルで爆発しそうなほどでした。それに私は、その事件の1カ月前に、酔った父から夜遊びについて注意され殴られたばかりでした。幸いなことに妊娠はしていませんでした。
 それ以来、わたしは不登校になり、退学して引きこもりになりました。車に乗ることが怖くなったので、付き合っていた男性とのデイトにも行けなくなり、結局別れました。怖くてタクシーにも乗れなくなりました。激しい過食と嘔吐が始まりました。自己嫌悪で自傷するようになりました。
 ホスピタルへ来る前に摂食障害の治療を1年半したけれど、レイプ被害のことは話しませんでした。忘れたいと思っていたし、何よりもそのような質問をされたことがなかったからです。

夢破れ
 都会にあこがれ、地方の名門中学から都内の受験校に入学したものの、競争が厳しく成績は急落しました。勉強のストレスに加え、陸上部合宿の厳しさから、体重が半年で8kg減り、生理が止まりました。それが10年間の闘病の始まりでした。(1年後に過食になり、23歳、アルコール症合併、26歳低血糖により死亡)
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[家庭環境:親子関係]

世代連鎖
 28歳の長女が摂食障害でアルコール依存症です。うつ状態で寝込んでいるということなので、見舞いに行ってみました。長女は昼間から酒を飲んでいました。4歳の男の子が保育園に行きたがらず、食べ物が散らかった部屋を走り回っていました。長女は情緒不安定で、夫のちょっとした一言にすぐにカッとして包丁を持ち出し、「これで刺してちょうだい」と夫に迫りました。そうすると、子供が走ってきて「ストップ、ストップ」と叫びました。
 頭を殴られたようにクラクラしました。すべてが24年前と同じでした。アルコール症だった私の夫が箒の柄で私を殴ろうとした時、4歳の長女が、「やめて、やめて」と叫びながら、私をかばおうとしたのです。ホスピタルの家族会で習った「嗜癖問題の世代連鎖」という言葉を思い出しました。(摂食障害兼酒害者の母、かつ元酒害者の妻、52歳)

両親の間でなだめ役
 高校受験の前、父が酔って包丁を持って暴れ私が腰に抱きついて止めるということがありました。姉は逃げ出したので病気にならずに済んだけれど、私は両親の間に入ってなだめる役でした。そんなことをしていたので受験にも落ち、17歳の時摂食障害になりました。(35歳、女性)

母親の相談相手
 小学校の頃から私はいつもお母さんの愚痴の聞き役でした。お母さんはお父さん方のおばあちゃん、おじいちゃんのことをじじい、ばばあと呼んで嫌っていました。確かにお父さんはマザコンなんだけど・・・、そんなことを私に聞かせてどうなるの。時には、お母さんは自分の母親の悪口も私に言うこともありました。「ああ、そんな話聞きたくない」と思いながらも、その一言が言えず、ついつい聞いてしまいました。私は14歳から拒食が始まり、15歳で過食・嘔吐になりました。(16歳、女性)

風通しの悪い家
 私の母は何でも家族一緒がいい、自分の思い通りにしたい人です。妹はそんな母に「うるさいよ!」と言える人なのですが、私はずっと母の相手をしてきました。母は家族以外とは付き合わない人で家に他人が来ることも望みません。小学生の私は家に戻っていつも一人で遊んで、他人の家に遊びに行くことも出来ませんでした。母のようになりたくないと思うけれど離れられません。(20歳、女性)

母と共依存の関係だったと気づきました
 今日斎藤学先生の「家族依存症」を読み始めたら自分に当てはまるので具合が悪くなってきました。で休み休み読みました。今となっては済んだ事だからぶりかえしても何もならないと思うのです。本に母のことばかり出てくるのがいやで、治療の過程で母との事が必要になってくるとしたらいやだ・・・と思ってパニックになってしまいました。この本から自分が母と「共依存」の関係にあったと気づきました。母に「私はあんたが欲しくなかったけど、お父さんがどうしても欲しいっていうから産んだのよ」と言われたことが一番辛くて自殺未遂を考えました。11の時両親が離婚し、父が私と兄を引き取り17の頃からアルコール乱用、過食嘔吐と下剤乱用が始まりました。18から母と同居し始めたのですが母は忙しくてほとんど家にいません。今まで親に腹を立てたらいけないと思っていたので気づかなかったけど、自分は母のことを怒っていたんだと気づきました。(19歳、女性)

暗い家に育ちました
 母は頭痛もちで私の小中学校時代は彼女の更年期障害とぶつかり暗い家に育ちました。父は仕事人間で、一生懸命やっていれば幸せになれるという考え方の人でした。私は親にとっていい子をずっとやっていました。登校前の腹痛、食欲がない状態、それでも学校に通っていました。両親は安心して支えてくれる・・・そういう親ではありませんでした。カウンセリングの中で親との問題に気づいてきて今はとてもくやしいです。(28歳、女性)

女性としての私の生き方
 父は何も言わないのに私は察して父の抱いている女性像に左右されてしまいます。父は母を否定する形で好きな女性のイメージを伝えてきました。父は女性に家を守って男性に従う静かな女性を望みます。父は母のようにガツガツ全部食べて、残さない食べ方を嫌うんです。一方母と話していると手に職を持ち、自立して生きていく彼女の生き方に影響を受けます。親の近くにいるとどうしても左右されてしまい自分なりの生き方がわからなくなってしまうようです。(30歳、女性)

わたしさえ我慢すれば…
 昔から私さえちょっと我慢すれば物事が大きくならずに済むと思ってきました。子供の頃どんなに喘息がひどくても毎日学校に行っていました。母は教育ママでピアノの練習とか躾とかとても厳しく中学生になるまでは母の目をいつも気にしていました。刃物で脅されたり、怒鳴られたり、精神病扱いされたり・・・と怖い思い出しかありません。高校に入ってダイエットを始め拒食から過食になりました。(19歳、女性)

親の侵入
 プライバシーのない家に育ちました。怖くて何も言えなかったけれど、私宛の手紙はいつも開いていて、日記を読まれたり引出しの中を見られたりしました。部屋から出て来いとドンドンノックされたこともあります。一人暮らしをしていた時、急に親がやってきて私が留守だったので片っ端から電話して私を探したこともありました。いつまたやって来るのだろうと玄関の鍵を何度も確認しないと怖くてたまらなくなりました。(25歳、女性)

親が病気!?
 親が教師なので「○○先生の子供」と見られている気がしていつも頑張らなければなりませんでした。成績優秀だけど元々頭は良くないので人一倍頑張らないと親に誉めてもらえなかったのです。摂食になって苦しんでいる今でも母は誉めてくれず、私のことをけなしてばかりです。どこの病院でもお母さんの言うことは正しくて、私が病気だと言われてきたのですが、ここのホスピタルでお母さん自身も病気だと言われました。(21歳、女性)

昔から死にたかった
 父親が酒乱で、私が中学生の頃から酷くなり今でもアル中です。母は父のアルコールのこと、暴力のことを知人や私に愚痴るだけでじっと我慢してきています。私の過食・嘔吐が始まったのは23歳の頃で始めは指を突っ込んで嘔吐していましたが、そのうち指を使わなくてもお腹に力を入れさえすれば吐けるようになりました。先生に私の摂食の問題が父親のアルコールの問題と関連していると言われました。(29歳、女性)

父の酒、母の愚痴
 私の家は母が給料を管理していたけれど、父が呑み代をどんどん取っていくので経済的に大変だったようです。父はよく酔ってタクシーで帰ってきました。私は中学生になるまで友達の家に行ったことがなかったので、“普通の家庭”というイメージがわかりませんでしたが、高校に入って過食嘔吐が始まりました。母の愚痴を聞きながら、無表情で無感情で食べ物を詰め込みました。吐く時は「コノヤロー!」という感じですっきりし、ある種の快感でした。(21歳、女性)

嫁姑の争いに巻き込まれ、・・・・・。
 母と姑(父方祖母)の争いに巻き込まれ、両方の顔色をうかがうのが習慣になっていました。私は記憶がありませんが、母によると、1歳過ぎの頃から、真夜中に「おばあちゃんのところに行く」と母の寝床を抜け出して2階の祖母のところへ行ったり、その逆に祖母のところから帰ってきたりしていました。幼稚園から不登校になりました。小学校時代から情緒不安定で、病院めぐりをするようになり、中学1年から拒食症になりました。(18歳、ニコニコ仮面の女性)  [TOP]


[家庭環境:同胞葛藤]

弟の亡霊
 私が3歳の時、6ヵ月の弟が肺炎で急死しました。母は情緒不安定で、弟の話になると泣き狂うので、なるべくその話題には触れないようにしていました。私が小学校の間中、死んだ弟と比べられました。小学校の3、4年頃には「役立たず」、「あなたが代わりに死ねば良かったのに」と言われました。小学校卒業頃には、「自分は死に損ないだから、いい子じゃなければ生きていちゃいけない」と思っていました。中学校からは、成績がクラスでトップでしたが、いつも2番になる恐怖に苛まされていました。18歳から拒食になり、学校を休めた時にはほっとしました。37歳の現在、やっと母親に、子供時代の恨みを言えるようになりました。(女性)

弟の引きこもりと暴力
 高校二年までは順調でした。私が高二の時弟がひきこもりになり、私に暴力を振るうようになりました。両親は止めに入ってくれたけれど上手くいかず結局我慢させられました。翌年の失恋の後摂食障害になり、嘔吐がつらいので入院しました。(22歳、女性)

いらない子
 両親は、もう女の子をほしくはなかったのです。私が生まれた時には、産院に見にも行かなかった父が、翌年、弟が生まれた時には、うれしさのあまり、エレベーターの中で飛び上がったと聞きました。両親の姉と弟に対する扱いと私への対応は、明らかに違っていました。姉は美人で成績がよく、長男で跡取りの弟は、何をしても褒められ、私は何をしても叱られました。私はいらない子だったのです。小学校の頃から、早く死にたいと思っていました。中学校になると、手首や前腕を切りました。両親とも気づいてくれないので、カミソリで顔に傷をつけました。気づいていたはずなのに、母は何も言いませんでした。拒食をしてガリガリになって、学校から呼ばれてから、初めて母が振り向いてくれました。私が拒食から過食嘔吐になり、その治療の中で、母が家族教室に参加するようになって、やっと少しだけ、母は私の気持ちが理解できるようになったみたいです。遅すぎます。(19歳、女性) [TOP]


断れなくて真っ黒になっていたスケジュール帳
 今までもいい子をやってきて母親の様子を伺いながら生きてきました。だから自分で何かを決めるのが苦手だし、人前で自分の話をするのが苦手です。嫌われたくないからだと思うんですけど、今まで本当の友人という子がいない気がします。「NO」を言えないんです。誘われると疲れていても「OK」と言ってしまうので、気づいたらスケジュール帳が真っ黒になっていたこともありました。外では元気に騒いでても家ではぐったりして20代後半で過食症になりました。(30歳、女性)

孤独
 普段から自分の感情を抑えてしまう方で、他人が怖くて信じられません。人間関係に気を使い過ぎて、職場でもすぐ気疲れしてしまいます。自宅でも家族に気を遣うのでほっとするのは自室だけです。病院では、仲間と一緒に過食したりします。自分よりもっとつらい人の話を聞いている時には、ちょっとだけ楽です。でも少し仲良くなると、やっぱり皆に心配掛けないように明るく振舞っていないといけないと思ってしまいます。(21歳、女性)

私は私でいていいの?
 昨日過食嘔吐しました。何かつらいことがあるともっと疲れることをしてしまいます。他人のことを受け入れよう、自分がこんなことを言ってはいけない・・・とどんどん人に影響されて反応し怒りを異様に抑えているのです。本当は自分を休ませてあげたい。自分でも大切にしてあげたいのに今はどうしたらいいのかわかりません。どうしても自己否定してしまうのです。(29歳、女性)

我慢する性格
 私のはっきり言わないで我慢する他人との関わり合い方は母と似ています。私がこんなに気を遣っているのに、どうしてあなたは気を遣われているのがわからないのか・・・・という気持ちになってしまいます。私のものさしと相手のものさしが違うことはわかっているつもりだけど、つい自分に合わせようとしてしまいます。(29歳、女性)

必要とされたい
 中二の頃から摂食障害になりました。私の人間関係は、父と私の関係の延長のようです。誰かに必要とされていないと不安で、大学の友人は殆ど男の子です。私が宿題をやってあげてたりしていた男友達がいたのだけれど、引越しをして距離が出来てから出席の代返くらいしか私に頼んでこなくなってしまいました。いろいろ相談に乗ってくれた別の男友達は結婚してしまいました。彼が欲しくて、寂しくて缶ビールを飲んでしまいました。(22歳、女性)  [TOP]


[症状:食事/過食/嘔吐]

食事へのとらわれ
 ここに入院して五日目、頭の中に食事が占める割合が減りました。けれど母が帰る時、食べ物の宝庫である家へ一緒に帰りたくなって母に言ったらそっけなくされたので、腹が立って叩いてしまいました。(19歳、女性)

9418キロカロリーの過食
 夕食後も過食欲求が治まらず、ちょっとだけのつもりで追加して食べ始めたら止まらなくなりました。食べたものは、レーズンくるみ黒糖2コ(800キロカロリー)、デニッシュパン(650)、きなこもちパン3コ(500)、スヌーピーのレモンウォーター(54)、ベリーシフォンケーキ(250)、クッキー3枚(300)、カプチーノ(30)、ネスカフェWオレ(100)、明治ラブ(250)、ホイップクリーム(500)、たこやきスナック(280)、キャラメルウエハース(250)、ラングドウシカ(373)、ルマンド12本(456)、レーズンパイ15枚(1065)、黒糖レーズン蒸しパン(700)、レーズン&くるみ食パン6枚(900)、マーラーカオ(500)、レーズンシナモンコッペ(600)です。これに軽めの夕食の(800)を加えると、合計9418キロカロリーになります。うまく吐けなくてパニックになり、少しだけ乾燥剤の石灰を食べてしまいました。ナースに報告したら閉鎖病棟に入れられました。胃洗浄して欲しいのにしてくれないので、実際にはほんの少しだけだったけど、「実は生石灰を二袋飲みました」と言ってみたら、すぐに内科に緊急転院させられました。「これでやっと胃洗浄してもらえる」と思ったのに、内科医は「石灰を食べて時間が経ちすぎている、水を入れると発熱する」と言って胃洗浄をしてくれません。挙句の果てに点滴をされ、さらに導尿され、恥ずかしい思いをしたままで、お腹パンパンのまま、ホスピタルに戻ってきました。ぐやじーーい!(23歳、女性)

飲食運転
 入院して6ヵ月、入院中の過食・嘔吐は止まりましたが、外泊すると食べ続けになります。先日の外泊では、病院を出た途端に過食欲求に取り付かれ、コンビニをはしごして食べながら運転して帰りました。飲酒運転じゃなく、飲食運転です。仲間の話では、高速道路でこれをやって、車をガードレールにぶつけて廃車にしてしまった方がいるのだそうです。摂食障害の人は、過食の後に情緒不安定になる事が多いので過食直後の運転も危険です。「食べたら乗るな。乗ったら食うな」(27歳)

人目がとても気になってつらいです
 肥満なので自分に自信がありません。男性の前だと普通の体重の時でも過剰に意識してしまいます。女性患者が陰で笑っていたりすると自分が太っていることを言われているような気がするのですが、男性に対しての私の"被害妄想"はもっと強いです。本当に言われているのか確信がある時とない時があります。今は入院してすぐで緊張しているので病院の食事三食と少量の間食で済んでいます。(26歳、女性)

母に食べさせること
 母がここに面会にくると帰りに送っていってレストランで大量に注文して母に食べさせてしまいます。自分が食べたいから母に食べさせてしまうんです。「食べろ」「食べない」で大喧嘩になりました。家ではお母さんは食べないと私が騒ぐから食べてくれました。他の家族も食べてくれてた時期があったけど、そのうちお腹一杯だと席を立ってしまって食べてくれなくなりました。(17歳、女性)

ケーキバイキング
 過食歴6年です。最近2ヵ月くらい、都心のケーキバイキングで毎日5-9時間も過ごしています。もちろん、食べては吐き、吐いては食べを繰り返すのです。よくよく観察すると、大抵は私と同じ目的のために来ている摂食障害女性がいます。お互い知らん顔をしていますが、ライバルです。同類が増えると、ケーキバイキングが時間制限になったり、値段が高くなったりするのではないかと心配です。内緒ですが、いつも30個以上は食べています。あっ、言っちゃった。(24歳、女性)

入院のきっかけ
 家にずっと居て過食がやめられませんでした。なんとなくダラダラ過食してしまいます。家ではテレビを見たりするぐらいしかすることがないのでつまらないのです。イライラして親に当たってしまうし、家にいたくないのです。通院したいのですが外出できませんでした。太っているから見られるような気がするし、常に他人にどう思われているのか気になるのです。それで入院しようと思いました。(23歳、女性)

嘔吐の音
 家に閉じこもって食べ吐きしていたら、吐く時の声がうるさいらしく近所の人からいやがらせを受けるようになりました。聞こえよがしに「妊娠してるのかしら」「吐いてる、吐いてる」など言われてつらかったです。 (19歳、女性)

吐けない過食
吐けない過食です。どういう訳か10日前から過食がひどく、一日中食べ続け+焼酎飲み続けになりました。10日で13kg体重が増えてしまい、ホスピタルに入院しました。4年前に、アイスもなかをトイレに隠れて80個食べ、とても寒くてぶるぶる震えていたことを思い出しました。(30歳、女性)  [TOP]


[身体症状]

回復期の足の浮腫
 29kg(153cm)になり、転倒して顔面や足に多数の切り傷や打撲傷ができたため、ホスピタル入院することになりました。入院後、どういう訳か、3食がきちんと摂れて嘔吐もありません。5日間で8kg、10日で10kg体重が増加しました。両足が象のようにむくんだので、主治医(院長)に利尿剤をほしいと言ってみました。院長は、一過性のものだから、と利尿剤使用に反対でしたが、内科医に診てもらいたいと要求しました。2日後に内科医師に診てもらいましたが、院長と同じ意見で、3度の食事をきちん摂っていれば1、2週間で消えるはずだから、言われました。下肢に弾性包帯をして足を高くして寝るようにという指示と念のために採血検査の指示が出ました。その後、4、5日で体重が39kgから35kgになり、足の浮腫は完全に消えました。(27歳、女性) [TOP]


[精神症状:自己評価]

女性としての私
 身体のラインが見える小さ目の服を着ていることが多いと先生に指摘されました。家では普通サイズの服を着ていると母にだらしないといつも言われてきました。自分の身体は筒型で身体の線はやわらかくないので、私に男性が目を向けてくれることなんてない、私が痴漢に遭うはずがないと思っています。電車で痴漢に遭ったときは母に隙があるからと言われました。でも友人達と遊びに行っても堅くて声かけづらいといわれていました。女性としての私…今はよくわかりません。(25歳、女性)

女性性
 痩せているということは私にとっては"守り"になります。家で子供らしくできなかったので学校でしか甘えられず、中学校に入っても発育が遅く「まだ子供」と言われ安心していました。母はあまり女性であることを見せず感じさせない人ですが、父は母の婚前の男性関係のことを非難することがありました。酔った父親に女性と見られるのはとても苦痛です。私自身性的なものは汚い、汚らわしいと思ってしまいます。セックスはできるけれど女性であることにどこか抵抗があります。中性的なものに憧れているのです。(23歳、女性)

胸の中にある箱
 入院してから親に対する怒りが出てきました。胸の中にある箱の蓋が少しずつずれて中の物が出てきているかんじで少し気持ちが楽になっています。今までは楽しいとか悲しいとか感じることができませんでした。痛みに対しても鈍いのです。41度熱がでるまで気付かなかったり、顔が腫れるまで歯の痛みを大丈夫だと思ったり、箱の中に入れて蓋をしていました。(22歳、女性)

自分自身を縛り付けているようです
 最近拒食気味です。母が面会に来て一緒に外出するとごちそうを食べるのでその時になるべく沢山たべたいと思い、何日も前から拒食しています。自分でも馬鹿馬鹿しいと思ってるんです。入院して最初の頃は景色を見たりするのが楽しかったのに、今は「食事を摂るんだから外に行かなきゃ」という気になってほぼ毎日散歩しています。好きで始めたことなのにいつの間にか義務になってしまうこと辛いです。(24歳、女性)

偏差値
 偏差値が最高レベルの高校3校に合格し、その中でも1番難しい受験校に入学しました。そこで落ちこぼれになり、3流クラスの短大にしか入れませんでした。恥ずかしくて高校卒業後、一度も同窓会に出ていません。短大卒業後はウェイトレス生活から始めて、摂食障害を抱えながら努力し、苦労して事務職になりました。能力を認められて30歳で主任になりましたが、責任感からか過食嘔吐がひどくなりました。ストレスを睡眠薬や安定剤などの市販薬で紛らせていたら使用量が増えてきて仕事が続けられなくなりました。薬物依存の摂食障害患者をきちんと見てくれる医者はほとんどいないし、いても忙しくて話を聞いてくれなません。専門医の勧めで何ヵ所かの相談室に行きましたが、長続きしません。カウンセラーの出身大学が気になるのです。2流・3流レベルでは話す気になれないし、一流大学出身でも、「なんだ、この程度か」と思ってしまうんです。自分の問題よりカウンセラーの知的レベルが先に見えてしまうんです。(32歳、女性)

悲しい初体験
 20歳のとき、デパートで小物アクセサリーを万引して階段を降りていく途中、中年男が追ってきて、「今、万引したでしょう?」とささやきました。黙っていたら、男は「警察に行くか、ホテルに行くか、どちらでもあなたが選びなさい」と言いました。その時私は、一瞬、母の嘆く顔を思い浮かべました。私が黙っていたら、「ホテルだね」と男が私の脇に擦り寄って歩き始めました。私はその時、食べ吐きがひどくてほとんど投げやりになっていたので、「もう、どうでもいいや」と思って、ホテルについていってしまいました。ホテルを出て、ひとりになってから後悔したけど、後の祭りでした。その時、私はヴァージンだったのです。  [TOP]



[症状:女性性/男性性]

ボーイッシュな私
 女性として見られるのが嫌です。小さい頃「かわいいお嬢さんね」と言われてとてもうれしくて鏡を見ていたら、その姿を母に見られて「いやらしい」と言われました。鏡を見ることやおしゃれをすることはいけないこと、口紅をつけるのは親への反抗のように思ってきました。おしゃれをしてもむなしいし、宗教的な教えからも女性は汚い感じがします。でも外出するときは私もおしゃれしたいです。(23歳、女性)

「感情」って悪いもの?
 自分の感情に対して罪悪感があります。自分が食べ物を買う時の目安は「カロリーが少ないか」「カロリーが同じならどちらが安いか」ということです。自分が着る服の選択も自分の好みは大切でなく「他の服と合うか」ということです。自分の感情に対してお金を使うのは悪いこと、「感情」というのは悪いことという気持ちが中学生の頃からずっとありました。いつの間にか感情を抑えるのが習慣になり、ついに感情自体が判らなくなりました。(23歳、女性)

一晩中過食してました
 家に居た時は午後11時から朝8時まで一晩中過食・嘔吐して、朝から昼過ぎまで寝ていました。ご飯、ラーメン、チョコレート、生クリーム、アイスクリーム、惣菜、パン、スナック菓子、餡子・・・etc 食べつづけていました。辛いとアルコールにも逃げました。(17歳、女性)

誰にも負けたくない気持ち
 自分が何でも一番でいなきゃいけないというのが私にとって過食・嘔吐の代わりではないかと思います。皆優しいから私がいろんなことを言って傷つけても許してくれているけど、本当は私のことを嫌っているんじゃないかと不安になります。(21歳、女性)

猫背の訳
 父から思春期の性的成長をからかうようなことを言われたり、一緒にお風呂に入ろうとしつこく誘われたりしました。父からの性的関心が恥ずかしくて、怖くて、自宅では身を縮めるようにしていました。猫背になったのはそのためかもしれません。時々ベッドを覗きにくる視線が怖くて、胸がはだけたりしないようにブラジャーをつけて寝ていました。15歳から拒食症に、16歳から過食症になりました。性的な成長が怖かったり、逆に、太って醜くなれば安心と思ったりしました。(27歳、女性) [TOP]


[合併精神症状・強迫症状]

歩き方のルール
 ここ数日病棟の床のビニールタイルの模様の一つ一つを三歩で歩かないと気がすまなくなりました。タイルとタイルの継ぎ目を踏むのは気持ち悪いのです。以前もこんな症状になったことがあります。レストランでテーブルの上の物が等間隔にちゃんと並んでいないとすごく気になりました。それはいつの間にか自然になくなったので今回もあまり気にしていません。(*筆者注:この症状は数日でなくなりました。)(28歳、女性)

うんこ強迫
 過食嘔吐、下剤乱用など普通の摂食症状以外に、私にはとても変な癖があります。自分の大便をビニール袋に取って割り箸でいじりまわしたり、臭いを嗅いだりするのです。院長先生が「うんこ強迫」と名前を付けてくれました。
(21歳、女性)(*筆者注:この症状は摂食障害の回復に伴ってなくなりました)

パターン作りにしばられてしまいます
 頭の中ではくだらないと思っているのに「○○すると悪いことが起こるんじゃないか」と考えたり、カロリー計算を何度も何度もしてしまいます。元々あった確認行為ですが、去年から酷くなり、入院してから洗うようになりました。何度も石鹸、洗剤、洗面器を洗って確認しなければいけないのでとても不便です。他人の目の前で確認強迫やるのも過食と同じくらい恥ずかしいです。前の病院に通っていたときも週に「何日は過食の日、他の日はビールの日」とルールを決めていて100%守り通してしまいました。今は一日1200キロカロリー、パターン作りにしばられてしまいます。(31歳、女性)

不潔恐怖
過食嘔吐の他に、強迫神経症があります。不潔恐怖のために、外出から帰ると、毎回、下着までを含め全部洗濯して、自分はシャワーを浴びるという生活を1年以上していました。ホスピタルに入院して、シャワーと風呂を見たらゾーッとしたけど、我慢して両方とも使ってみました。他人と一緒の洗濯機を使うのも嫌だったけど、ここでやっていくには仕方ないと諦めました。入院して1ヵ月、今はあまり気になりません。使い放題のコインシャワーとコインランドリーは、清潔好きの私にはうれしいです。毎日シャワーを使っています。(26歳、女性) [TOP]


[合併精神症状・対人関係]

一時しのぎの電話
 過食したくてそわそわして落ち着かない時には、昼でも夜でも知り合いのところに電話していました。電話では、自分が太ってない様子、自分が社会的に成功している様子について嘘を並べるのです。でも一時しのぎでした。電話した後で余計みじめになって、結局は過食していました。(25歳)

母への暴力
 大学に入って摂食障害になりました。家にいると何も出来なくて一日中横になっているだけでした。同級生・同年齢の人と比較して、自分は何もできない、役に立たないのにどんどん年を取ってしまう…と焦って怒りが母へと向かってしまいます。母への怒り、憎しみが大きくて母親に暴力を振るってしまいます。(25歳、女性)

親からもらった生き辛い価値観
 小さいときから親に人は一人で生きていくのだ。人に頼ってはいけないと言われ続けてきました。身内は信用していいけれど、他人は信用してはいけないとも言われました。他人は信用しても裏切られるだけで期待通りには動いてくれません。身内は思い通りにいかなければ文句を言えばいいのです。私はどうしたらいいのだろう・・・・生き辛い考え方です。(27歳、女性)

食事の強制
 母娘の二人家族です。娘は18歳から拒食傾向が続いており、160cm、35kgというガリガリ体型です。過食とか嘔吐とかはなく、アルコール、薬物問題も自傷行為もありません。週に5日の仕事を始めて2年になります。でも、健康な痩せ型女性と違うことは、私だけが知っています。
娘は、私の食事を取り仕切り、私に山盛りの食事を強制するのです。娘は、毎日早起きして、自分用に極小弁当と、私用には、お相撲取りが食べそうなドカ弁を作って、私に、必ず全部食べるようにと言いつけてから出かけます。そしてメールで、「完食したか」どうかを聞いてきます。完食というのは、全部食べるということです。月に2、3度は、私が食事を残したとか、こっそり捨てたと言って、大暴れします。大声で叫んだり、物を投げたり、家具を壊したりするのです。おかげで、私はこの2年間で10kg体重が増えました。ホスピタルに来て、似たような方に出会いました。その方のお嬢さんは、過食症ですが、妹に無理やり食べさせるのだそうです。

ニコニコ仮面
 ホスピタルに入院して10日目、笑いたくないのに、笑顔しかできなくて、頭と肩が凝ってしまいました。院長から、典型的な「ニコニコ仮面」だと言われました。

 「明るい子が好き」というのが父の口癖でした。器量も成績も姉より悪い私が好かれるには、いつも笑顔でいるしかなかったのです。実際、私は姉よりかわいがられました。小学校でいじめ被害に遭った私は、ニコニコできなくなってしまいました。仕方がないので、中高時代はウィスキー入りのリポビタン瓶を鞄に入れて持ち歩き、トイレに隠れて飲んでいました。量が増えてきて、クラス仲間に「酒臭い」と言われました。17歳から摂食障害になって、受診することになってからは、処方薬を乱用するようになりました。(26歳、女性)

プレゼント
 最近、摂食障害の自助グループで知り合った友人が、会うたびに私に小さなプレゼントをくれることに気づきました。今日、思い切って、その友人に言いました。
 「こんなことを言って、気分を悪くしないでほしいのだけど、・・・。あのね、プレゼントはうれしいのだけど、こんなふうに、いつもプレゼントをいただくと、心苦しいの。申し訳なくて、かえってあなたに会うのがつらくなってしまう。間違っていたら、ごめんなさい。もしかしたら、あなたは、プレゼントでもしないと周りの人が自分を受け入れてくれないのじゃないかと、心配しているのじゃない? 信じてほしいのだけど、プレゼントをいただかなくても、あなたは私の大切な仲間、友人だと思っているわ。だから、もう、プレゼントはしないでほしいの」
 友人は驚いた顔をしていましたが、やがて静かに答えました。
 「そんなことを言ってくれたのは、あなたが初めて。すごくうれしい。感謝します」
 友人は涙ぐんでいました。

 「そんなに感謝されると、恐縮しちゃう。あなたに分かってもらって私もうれしいわ。実はね。私も同じだったの。誰彼なくプレゼントをしなくちゃ気が済まなかった。素敵な仲間には友達になってほしくてプレゼントをしたし、親しい仲間には、忘れられないように、捨てられないように、プレゼントをしていたの。でも、しばらくして、先行く仲間の一人が、注意してくれたの。今日の私のようにね。だから、あなたも、いつか、私たちと同じような症状の人がいたら、注意してあげてください」
 思い切って言えてよかったです。(29歳、摂食障害、女性) [TOP]


[多重嗜癖]

薬物乱用:利尿剤
 過食+嘔吐を9年間続けています。この5年間は利尿剤を1日4,5回使っています。開業医を3ヵ所かけまわって、むくみがひどいと訴え、出してもらっています。(25歳、女性)

薬物乱用:甲状腺末
 摂食障害で過食があります。彼氏に太っているといわれたのがショックで、どうしても痩せなければならないと思いました。インターネットの個人輸入で甲状腺末のチラージンSを入手しました。50マイクログラムから徐々に増量して、多い日には1日に20錠飲んでいました。動悸と体の震え、イライラがひどくなって、総合病院の精神科に入院しました。甲状腺末服用を申告しなかったので、バセドー病と診断されました。体重は減りましたが、あまりに体調が悪いのでチラージン服用は中止しました。自傷行為がひどくなって、強制退院になり、赤城高原ホスピタルに入院になりました。(22歳、女性)

買物依存症:お人形でいたい
 中学生の頃からダイエットを始め摂食障害になりました。以前からブランド物が好きだったけれど、ここ数年メルヘン調の衣類にはまって買い物依存症になっています。機能的な格好ではありません。本当に一生懸命何かをする時は何をしていても気にしないのですが、人間的な汚れる行為をしない、動くお人形さんでいたいのです。でもお人形をするのも疲れます。(37歳、女性)

共依存症:必要とされる必要
 摂食障害になって10年になります。私は人に必要にされていないと駄目です。結婚していた時、バイトをしていた時、必要とされていないとわかると自分の中の何かが崩れていく気がします。先日のミーティングのテーマは「共依存」、自分の事だと思いわかりやすかったです。自分の中心にはいつも自分じゃない誰か別の人がいたんだと思いました。(29歳、女性)

万引
 外出すると過食用の食べ物の万引が止まりません。食べたらなくなってしまう物にお金を払うのが嫌なんです。自分で働いていた頃はちゃんと払っていたのですが、親のお金を過食代に使うことに気兼ねしてしまいます。まだ万引きでつかまったことはありませんが、今は摂食障害より万引の方を治したいです。(23歳、女性)

恋愛依存
 恋愛依存という言葉を初めて聞きました。10年近く付き合った彼がいて結婚することが暗黙の了解になっています。でも一年に一度位しか会っていません。彼と離れる為に入院しました。彼から電話がないので、私からも会いたいと電話しません。でも居るのかどうか嫌がらせのような無言電話を掛けてしまいます。嫌われるのが怖くて自己表現できず、でもしがみついていたい気持ちが強いです。こんな恋愛やめた方がいいと思うけれど彼しか見えません。(28歳、女性)

占い依存症
 摂食障害(過食、嘔吐)の他に、アルコール依存、薬物(処方薬+市販薬)乱用、自傷行為、買物依存があります。

 周りの人は誰も知らないけれど、実はその他に、ちょっと変わった依存があります。夜間、ちょっとお酒が入った状態で、無性に淋しくなり、占い師に電話してしまうんです。占いの結果に納得がいかなければ、一晩に2ヵ所も相談してしまいます。相談料は一回五千円ですが、月に10万円以上も使ってしまいます。(20代後半、風俗娘)

セックス・アディクション
1年8ヵ月ここで治療して、私はやっと自分のセックス・アディクション問題に気づきました。これまで、男性との友人関係も、信頼関係も、裏切られたと思うことへの復讐も、全てセックス抜きには考えられませんでした。成人して以来、そういう関係にならなかった男性は、ホント、親兄弟と院長先生とあと例外が数人だけです。(24歳、女性) [TOP]


[自傷行為/自殺行為]

切る理由
 私は人に冷たくされると、自分のことを切りたくなります。小さい頃は父親に叱られたり、怖い顔をされた時大抵殴られていました。今は父親は怒っても殴りはしません。けれど叱られるとリストカットをしないと気が済まなくなりました。痛い思いをすると、つらい気持ちを忘れられるのです。(20歳、女性)

睡眠薬乱用、放火
 摂食障害の辛さから睡眠薬を乱用し始めて2年、ある日、大量の睡眠薬をまとめ飲みした後、自宅に放火してしまいました。半分自殺するつもりでした。自宅は全焼しました。類焼は免れましたが、逮捕されて裁判を受けました。判決は懲役3年でした。(30代、女性) [TOP]

寂しさと自傷行為
 寂しくなると自傷行為をします。寂しさは突然やって来ます。友人と一緒に居ても寂しさを感じお酒と薬が欲しくなって、友人にも黙って急にお酒を買いに行き酔っていつの間にか自傷してしまいます。中学に入って体型を気にするようになりダイエットを始め過食・拒食を繰り返しアルコールと処方薬にも依存しています。(25歳、女性)  [TOP]


[医療]

連続過食嘔吐発作
 連続飲酒発作という用語があります。数日間以上の飲み続けの状態です。大抵は、嘔吐と下痢をしながら目が覚めている間中飲み続けます。私の場合は、お酒ではなく、食べ物を対象にこれをやっていました。「連続過食嘔吐発作」です。夕方から朝まで、12時間以上食べては吐いてを続け、食べ物がなくなるとコンビニに走り、時にはコンビニをはしごして、歩きながら食べ、朝から夕方までの昼間の時間帯には、疲れきって寝ていました。1週間で7kg体重が増え、食道から出血して底をつきました。その前から母がつながっていた赤城高原ホスピタルに入院することになりました。(22歳、女性)

Doctor Shopping
 私は誰かと親しくなるとその関係を壊したくなります。依存できる人、頼りたい人が、死んでしまうんじゃないか、居なくなっちゃうんじゃないかと不安になるのです。そうなると困るので、私から切り他の治療者を捜すことになります。そうやって病院を転々としています。優しくされると逃げ出したくなるのは、あまのじゃくで、自分が優しくしてもらう価値がない人間だと思っているからです。(28歳、女性)

どこまでがんばればいいのだろう
 就職してから拒食気味になりました。今は入院したばかりで摂食障害の患者の為のミーティングに出ています。まだ自分を作っていておちゃらけてお茶を濁している段階ですが自分をアダルト・チャイルドだと認識しています。援助職に就いていますがいい反応がなかなか出ず、依頼人の御家族の期待との間で板ばさみになっていました。今になってみると自分は神様というわけではないのだから…と思えるのですがどこまでやってもこれでいいと満足できません。そして御両親そろって相談に来るのに対応しているうちに自分の育ったばらばらの家族との違いを意識するようになりました。(28歳、女性)

自分の気持ちを言葉にすること
 アルコールと摂食の問題があります。同室の人のことで我慢していたのだけど、先日思い切ってナースに話してみました。少し自信が無かったけれど、これでよかったと思います。家で気に入らない事、親とぶつかる事があると、何週間も何ヶ月も自室に閉じこもっていました。ここでは、ちゃんと言っていきたいです。ノートに自分の気持ちをまとめて書いて見ています。(30歳、女性)

家族会
 ホスピタルで摂食障害の家族ミーティングに参加して家族の方々のいろんな話を聞いているうちに、自分の子供時代の記憶がないという事実に気づきました。そしてその後、どうしてだろうと考えているうちに、子供時代の辛い思い出が次々に出てきて、すっかり涙もろくなりました。この1週間はほとんど泣き続けです。そしてもっと不思議なことに、今日ここへ来るとほっとする自分に気づいたのです。実のところ、家族会に出始めて1ヵ月間は義務感で来ていたのです。私の育て方が悪くて、娘を摂食障害にしてしまったから、これは義務なんだと思って。でもそのうちに分かりました。誰も親を責めていないし、出席者はそんなことで来ているのじゃないって。初めは子供の問題で来ていました。今は自分の問題で来ています。(48歳、摂食障害者の母)

入院中の万引事件
 ホスピタルに入院して1ヵ月後、摂食障害者のミーティングや、万引、盗癖者のミーティングにきちんと出られるようになっていたのに、一人で外出して大型ディスカウントショップに入った時、昔の癖が出て、食べ物を万引してしまいました。警察に突き出されて、数時間も調書を取られた後で、病院スタッフが迎えに来ました。警察では、あれこれ責められたけど、病院スタッフはひとことも責めませんでした。閉鎖病棟に入ってひとりになった時、頭が真っ白になりました。「なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう。せっかく自分が安心できる場所を見つけたのに、仲間もできたのに、ここを追い出されたらどこへ行けばいいの? どんな顔をして仲間に会えばいいの?」 これまで、数限りなく万引を繰り返してきたけど、一度も感じたことがない後悔でした。「私は強制退院になるの?」 と看護師に聞いたけど、「分からない。とにかく、院長にお願いしてみたら」という返事でした。眠られない夜を過ごして、翌日、院長がベッドサイドに来ました。「強制退院させないで、ここで治療したい」とお願いしようと思ったけど、声が出ず、涙がポロポロいくらでも出てきました。結局、ミーティングで正直に万引の一件を報告すること、トイレ掃除を1週間すること、という条件で、入院継続をさせてもらうことができました。(22歳、女性)

セクハラ、下ネタ対応のロールプレイ
 親しい人との間でも、下ネタ話が出ると、恥ずかしくて固まってしまいます。「そういう話は苦手なの」と言うこともできず、黙って席をはずすこともできません。院長と女性ナースを交えて、「セクハラ、下ネタ対応」のロールプレイをしました。ちょっと恥ずかしかったけど、少しは役に立ったような気もします。(29歳、女性、実父からの性虐待被害者)

対人恐怖、再入院
 実は私は再入院です。一度目の入院では、病棟での仲間との関係をどうすればよいか分からず、入院直後に逃げるように退院してしまいました。退院後は、食べ吐き、処方薬乱用と自傷行為の自虐的な生活に逆戻りしました。どうすることもできず、絶え間なく襲う希死念慮から自分を守るために再入院することになりました。私のように、対人恐怖のために入退院を繰り返す摂食障害患者は多いと聞きました。ホスピタルにメッセンジャーとして来ている回復者も、最初の数回の入院では長くは滞在できなかったそうです。(24歳、女性) [TOP]


[家族の対応]

カミングアウト
 家族には今まで私の摂食障害のことを知らせていませんでしたし、今回の入院のことも知らせていませんでした。最近母に中学生の頃から摂食障害だったと話しました。母はどうしてその時言わなかったのかと反応していました。当時は話しても信じてくれなかったし判ってくれなかったと思います。(27歳、女性)

母と話しやすくなりました
 母と一緒に入院して沢山話をしました。母はこの病院の集団療法で勉強して私に対する話し方が変わったので、私も言いたいことが言えるようになり話しやすくなりました。今まで私の心の中には母がいなかったのだけど今はここに感じられます。もうすぐ私も自立して母から離れ、彼女のことがいらなくなると思います。でも今は甘えん坊になっています。(20歳、女性)

我慢するの?逃げるの?
 前のカウンセラーに、摂食障害の娘が母親の私にむりやり大量の食事を摂らせるのは、娘が子供時代に私から強制されたコントロールへの反発だから、逃げないで我慢しなさいと言われ、困惑していました。ここ、赤城高原ホスピタルに通院し始めて1ヵ月。ホスピタルでは、暴力や強制を受けてはいけない。暴力も強制もエスカレートするから逃げなさい。必要なら警察を呼びなさい、と教わりました。どうすればいいのでしょう?

母の口癖
 母は口癖のように、「死にたい人は死んでいいんだよ」と言っていました。だから私は、死にたいということもできませんでした。でも、私の食べ吐きがいよいよひどくなって、ある日、私がポツンと「もう、死にたい」と弱音を吐いたら、母が何と言ったと思います。無視して私の横を通り過ぎざまに、母は「狼少年!」と言ったのですよ。私はあの女が許せません。(25歳、女性)
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[軽快/回復]

二重生活
 ぶっちゃけてしまうと、私は、どこからみても潔癖な綺麗な恋愛をしていた一方で、性的逸脱行動もしていました。過食代と生活費を稼ぎ出していた風俗の仕事が「彼氏バレ」して二重生活が破綻しました。赤城高原ホスピタルで入院治療して、退院、社会復帰をして3年になります。今は、週末だけの食べ吐きは続いているものの、けっこうまともな仕事をしています。時々、全て投げ出して、元の生活に戻りたくなります。「また、売春しまくって思いっきり過食嘔吐したい」という誘惑がチラチラします。(26歳、女性)

入院して1年4ヵ月経ちました
 私は18歳の時から約7年間過食嘔吐をしています。大学に入学した時から自分の周りの人の体型、体重が気になって「やせてキレイになって、誰に対してもビクビクせず堂々としていられるようになりたい」と思うようになりダイエットを始めました。しかしダイエットは長続きせずすぐに過食が始まってしまい、太りたくないために吐くことを覚えました。
 いくつもコンビニをはしごして食べ物を買い、一人部屋で食べて吐き、時には我慢できなくてバイト先の食べ物を隠れて勝手に食べたこともあります。家族や友人にも言えず、こんなことをしているのは私だけだと一人で何年も悩んで自分を責めていました。いつも「やせれば自分を好きになれる、自信を持てる」と考えていました。それほどまでに私は自分が嫌いで自信がありませんでした。優秀な成績、優しい性格、そして痩せた体…自分にいつも条件をつけ、頑張って努力してクリアしていないと、自分を“OK”と感じられませんでした。小さい頃から、人から怒られたり、うっとおしがられたりするのが嫌なために、そしてもっともっと私を見て欲しいために、誰に対しても「しっかりしたいい子」をしていました。それはとても苦しい生き方で、そんな風に「いい子」をしているうちに、自分でも、自分って本当は何なのか、どんな人間なのか、さっぱり分からなくなってしまいました。「自分の価値は痩せていることで決まるわけじゃない、何もしなくても私はそのままでOKなんだ」という考えを受け入れるのには、とても時間が掛かったし、長い間食べることや体重を気にすることでしか自分を表現できませんでした。
 赤城に来て1年と4ヵ月が経ち、ここで毎日過ごすうちに思ったことは、悪いのは頑張りのきかない私の太った身体や、だらしない精神ではなくて、ありのままを受け止めて「そのままのあなたが好き」という愛情を与えてくれなかった私の両親なのではないか、吐き出したいのは食べ物ではなく、心の痛みを感じられない苦しさ、重いのは体重ではなく、自分の中にウミみたいに溜まった不安やさみしさ、怒り、恨み…なのかもしれないということです。そして多分、私が求めていたのは、食べる事ではなくて安らぎやぬくもり、安心感なのです。また、大切にしたいのは人から認められることではなくて、自分が自分を好きになること、ラクな気持ちで、自分を可愛がって生活することかもしれません。今も過食で体は重いし、気分も重いけど… 少しずつでも、私と同じような悩みを持つ仲間や、病院のスタッフの人達やミーティングの中で、ありのままの自分や、自分の感情を取り戻し、そして、「自分」を生きることができるようになっていったらいいなと思っています。(25歳、女性)

私は私
 高校一年の時摂食障害になりました。入院するまで私は両親の理想像に自分を合わせようとして来ました。姉ともうまくいかなくて姉を憎んでいました。でも今は「私は私」「両親の理想に合わせなくてもいい」と思えるようになれています。姉とも今までとは違った接し方ができるように思います。少なくとも私は自分が変わったと思うし、変わった私を見た人自身が、また変わってくれるかもしれないと思います。勿論そこでその人がそこで変わるかどうかはその人の自由ですけど・・・ (21歳、女性)

体重が順調に減りました
 むちゃ食い依存症とアルコール乱用で50日入院して109キロから94キロまで痩せました。ジュース類を飲まず、間食をやめて体育館でエアロバイクやバトミントンをしました。やっぱりストレスがあったみたいです。今まで自分が病気だと思っていなかったけど、ここに来て過食もアルコールも止まっているというのは変だから退院したら仕事を少し減らすつもりです。(28歳、女性)

自分いじめをやめられた訳
 治療を始めて3年、今回の入院では、対人関係のトラブルがある時に、ナースに話を聞いてもらうことができるようになりました。以前は、どうせ私の話なんか聞いてもらえない。「あなたが被害的なだけ」と言われると決めつけていました。私のことを批判せず、黙って聞いてくれるナースを見つけられたことが大きかったと思います。過食・嘔吐が減ったのはそのことと関係があるようです。一晩中やっていた過食嘔吐を今は、一時間でやめられるようになりました。「あっ、私は今、自分いじめをしている」と気づいたら、過食をやめてナースに相談するようにしています。ナースが勤務中じゃなかったら、「明日言おう」と待つことにしました。(29歳、女性)

自分は何と恵まれているんだろう、と感謝しています
 6ヵ月入院し、退院してからも1月に一度くらい受診している患者さんが面接室に入り、椅子に座るなり言いました。
「先生、今日が何の日か知っていますか?」
「ええっと、うーーん、分かりません」
「私が初めて赤城を受診した日です」
(カルテの最初のページをめくって)
「ホントだ。受診記念日ですね」
「1年前の初診日、診察の終わりに私は先生に言いました。『先生は、私の事なんか、どうでもいいと思っているんでしょう』って」
「あっ、その言葉、覚えています。うっかり、あくびでもしたのかな、と思って、ドッキリした記憶があります」
「あの頃、私は、誰も信じられませんでした。周りのみんなから嫌われている気がして、無理にニコニコ顔を作って、誰とも本音では話せず、表面的な話しかできませんでした。それでも、他に行くあてもないから入院しました。最初は逃げ出したかったけど、我慢しているうちにだんだん居心地が良くなって、結局6ヵ月入院しました。退院してもホスピタルにつながっていたくて、実家から遠く離れた群馬県内に住んで6ヵ月。今はほとんど毎日、自助グループに出ています。スポンサーも見つけました。憧れの人です。それから、先日、久しぶりに地元に帰りました。疎遠になっていた友人たちに会って、心ゆくまで話してきました。お世話になった方々にもご挨拶してきました。誰一人、私のことを忘れていなくて、大歓迎してくれました。みんなが私を嫌っていたのじゃなくて、私が自分で壁を作っていたんだ、と分かりました。今、私の周りには、先行く仲間がいっぱい。故郷には、私のことを忘れないでいてくれる優しい人たちがいて、ホスピタルには、遠くから見守ってくれる先生がいて、自分は何と恵まれているんだろう、と毎日感謝しています。このことを先生に伝えたくて、今日来たのです」(26歳、女性) [TOP]

体重が10kg増えました
 昨日、思い出して体重計に乗ったら、最低のときから10kg増えていました。でも以前ほど気になりませんでした。前は1kg増えても大騒ぎでした。とはいっても、まだ標準体重には足りません。(入院2ヵ月、22歳、女性)

いい気分
 先日、入院中の中年男性患者が私をじろじろみて、「まるまるしてうまそうだな」と言いました。その時、前の面接で院長に言われたことを思い出しました。「自分の感情を取り戻しなさい。あなたは悲しくないの、くやしくないの、怒ってないの?」  院長の声が聞こえたような気がしたんです。大声で叫びそうになったけど、アル中おじさん、冗談のつもりで言ったのかも知れないし、ちょっと怖そうだったし、お部屋に帰って考えました。メモ用紙に走り書きして、そのおじさんに渡しました。「さっきの一言、聞きたくなかったです。他人の体について、あれこれ言うなんて失礼です」と書いたのです。入院前だったら、その時には黙っていて、後でくやしくて過食したはずです。入院直後だったら、なんにも言えず、退院したかもしれません。院長に報告したら、院長が大きな声で「偉い。よくやった」って言ってくれました。自分で自分に花マルをつけました。いい気分。

 その事件のことで、酒を飲んでは、私の体について、あれこれ言っていた父のことを思い出しました。私にとって、自宅は危険な場所だと分かりました。面会に来た両親に「ひとり暮らししたい」と言ったら、「院長がOKなら、自分の好きなようにしていい」と言ってくれました。今年の夏はここ(赤城高原ホスピタル)で過ごして、その後はひとり暮らしをしたいと思っています。(20歳、女性、他院にて治療歴3年、ホスピタルに入院2ヵ月)

5年ぶり生理のお祝い
 入院して5ヵ月で体重が36キロから39キロになり、21歳から止まっていた生理が5年半ぶりに来ました。ホルモン療法などいろいろやってもダメだったので、もう一生子供を産めないと思っていました。自分で赤飯を買ってきて入院中の仲間に祝ってもらいました。うれしくて涙が出ました。(26歳)

過食のひきがね、共依存
 一昨日、あまりに過食がひどいので、その原因を考えてみました。自分の心に聞いてみました。「あなたは何が心配なの」って、そしたら思い出しました。その日の前日、昔付き合っていて、今は別れたアルコール症の男性から電話があったのです。酔っていました。そしたら、急にもやもやとした不安が頭をもたげてきました。それから過食がひどくなったのです。
 実は、この5年間で、私の周りで5人の人が亡くなりました。そのうち3人は私が付き合っていた男性でした。私は電話の男性も死ぬのじゃないかと心配になったのです。
 その時、私は先生の言葉を思い出しました。「付き合っていた男性が死んだのは彼らの病気のせいであなたのせいじゃない。あなたにとって大切なことはご自分の回復、彼らの病気は彼ら自身しか治療できなかったのだ」
 先生からも看護の方からも、仲間からそういわれました。そのことを思い出したのです。そうだ、これは「共依存」だ。私にどうすることもできない彼の問題は彼に返し、自分の治療に専念すること。飲んでいるアルコホリックとは距離をとる事。それが私のすべきことだ。
 考えてみれば、私自身の回復は、私の両親が飲んで酔っている私に対して距離をとることができるようになってから始まったのです。そのことに気づいたら、急に心が穏やかになりました。そして過食欲求がなくなりました。実際、この2日間は過食をしていません。
 私は自分で過食のひきがねを発見しました。自分で過食の原因をつきとめ止められたのです。こんな体験は摂食障害とアルコール乱用歴8年で初めてのことです。
 過食を始める前にこのことに気づくこと。それが今後の課題です。いつかできるようになると思います。(27歳、女性)

私でもこれだけ回復できたのだから、・・・
 7ヵ月入院し、退院して9ヵ月になります。まだ過食と嘔吐はありますが、回数と量はかなり減りました。でも、何よりも、自傷行為と自殺願望がなくなったことは大進歩です。両腕を隙間がないほどに切り刻んで、それでも足らずに自分で火傷を作って、毎日、死んでしまいたいと思っていた頃が夢のようです。私でもこれだけ回復できたのだから、どんな重症の方でも回復できるはずです。そのことを今苦しんでいる人たちに伝えたいです。(28歳、女性) [TOP]


[死]

死にたい気持ち
 中学生の時拒食症、後に過食症になりました。子供の頃から死にたい、死にたいと思いながら生きている自分が嫌です。外から見るとうちは形は家族だけれど中身は全く駄目です。それでもどこか生きていたい気持ちがあるのでしょうか。嫌だけどなかなか死ねません。(32歳、女性)

謎の死
 娘は「赤城は自由すぎて自分には合わない」と言って、もっと閉鎖的な病院に転院し、そこで知り合った摂食障害の患者には赤城高原ホスピタルへの転院を勧め、自分はその病院に入院を続けていましたが、3ヵ月後にその病院の8階病棟から飛び降りて自殺しました。最後まで親には理解できませんでした。(享年19歳女性の母)

衰弱死
 摂食障害とアルコール乱用のため、赤城高原ホスピタルを受診しましたが、159cm、32kgという低体重のため、入院を断られました。それでも諦めず院長に直談判し、入院したら、必ず体重維持、増加に努力すると約束して、むりやり入りました。しかし入院後、飲酒と過食は止まったものの、拒食になり、体重はむしろ低下。体重維持のための点滴も拒否して、8日目に自主退院してしまいました。数ヵ月後に大学病院と関連の強い市立病院に入院し、10ヵ月後に衰弱死しました。26歳でした。 [TOP]


[その他]


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または、昼間の時間帯に、当院PSW(精神科ソーシャルワーカー)にお電話してください ⇒ TEL:0279-56-8148


AKH 文責:竹村道夫、協力:市村まほ(初版: 02/12) 


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