CHAPEL NEWSLETTER
群馬キリストチャペル発行 第3号
わたしはあなたがたのために立てている
計画をよく知っているからだ。
主の御告げ。
それはわざわいではなくて、平安を与え
る計画であり、あなたがたに将来と希望
を与えるためのものだ。
−聖書−
目 次
希 望
小杉正雄
「この世を動かすものは希望である」とは、改革者マルチン・ルターの言葉です。また、キング牧師は心を込めて語りました。「わたしには夢がある!それは、いつの日か私の幼い四人の子供たちが、皮膚の色ではなく、人格の深さによって評価される国に住めるようになることである」
人は、希望があれば、生き生きと生きることができ、希望がなくなれば、うまく生きていくことができません。希望は私たちの支えとなります。
今年に入り日本では、リマでの日本大使公邸人質事件、政府高官の汚職事件、原発事故と心を重くさせる事件が続きました。さらに、イギリスで発表されたクローン羊は全世界の多くの人に不安を与えました。
また、個人的にも難しい状況の中で、生きる力を失っている方もいらっしゃるかもしれません。
私たちに希望はあるのでしょうか。
周りの状況を見ているだけでは、なかなか希望を見出すことはできません。
ルターもキング牧師も神様を信じ、神様から希望が与えられていました。この神様は、また私たちにも同じ希望を与えて下さいます。
すべてを益とされる神様
松井田町在住・医療事務
最初の出会い
私が信仰を持ったのは今から八年前のことです。あれから八年が経ったなんて信じられないくらい、時は早く過ぎ去っていきました。
私が初めて聖書の話を聞いたのは中学二年生の時です。親戚にクリスチャンの方がおり、その人に誘われて母と一緒に夕食会に行きました。私は聖書の話には全く興味がなく、聞き流して食べることしか頭にありませんでした。何の話がされたのか全く覚えていないし、神様なんて私には関係ないことだと思い、すぐに忘れてしまいました。
いじめと悩み
そのころ私はクラスの中でいじめられていましたが、自分の力で何とかしよう、頑張っていこうと、強い心を持って学校へ行っていました。しかし、いじめはなかなか収まらず、かえってひどくなるばかりでした。仲の良い友達はいじめに耐えられず学校を休む日が多くなり、私は一人になってしまいました。とても不安でしたが、とにかく学校には行かなければならないと思っていたので、何とか通い続けました。一人でも明るく生きようと心に決め、歩んでいましたが、中学二年の春、私の心はいろいろなことに疲れ、悩みの中にありました。
そんなとき、エホバの証人が私の家に来るようになり、その人から聖書の話を聞くようになりました。何かにすがりたかったのです。けれども、中学三年になり、受験勉強に忙しくなったのを理由に、聖書の話を聞くのをやめました。(神様なんているわけない、自分の力で生きよう)と心が変わり、神様のことは考えないようにしました。
中学三年になり、クラスも変わり、私の心も少しずつ元気を取り戻していきました。しかし、どうしたことか、またいじめが起こってしまいました。休みがちな友人はますます来なくなってしまい、そのような状況の中で、今まで私の心の支えとなっていたものが切れました。
先生も親も分かってくれないということを考えると、心が悲しく沈みました。また私は人間は偶然この世に生まれてくるのだと考えていたので、(自分は偶然生まれてきただけなのだ、でも死んだらどこへ行くのだろう、私は天国へ行けるのだろうか、それに魂は残るのだろうか、私という存在は完全になくなってしまうのだろうか)と、思いは巡りました。そのことを考えたとき、むなしさを覚えると同時に怖くなり、死のことは考えないようにしようと思いました。また、(私は何のために生きているのだろう、人生に意味はあるのだろうか)ということも考えましたが、これらの答えは一つも見つからず、疑問を残したまま、むなしい日々を送るばかりでした。
誰も信じられない
それからの私は、学校に行くふりをして友人とどこかに行き、さぼって遊ぶようになりました。教室に入るのが怖かったのです。誰も信じられない、信じたくない、それに面白くないことばかりで、私の心は次第にひねくれていきました。悪いことも平気でするようになっていきました。
受験の時期になり、自分では進学はせず、働きたいと思っていましたが、反対もあり、受験して高校に行くことになりました。けれども、どうしても働きたいという思いは変わらず、結局高校をやめて、家を出て働くことにしました。
意外な所で
高崎に出て、アパートの近くを歩いていると、アルバイト募集中の紙が目に留まり、なぜか気になって訪ねていったところすぐ採用になり、そこで働くことになりました。お弁当屋でした。
働き始めて何日かしたとき、クリスチャンである私の叔母が、私の店にお弁当を取りに来たので、私はびっくりしました。店は教会の目の前にあり、私も教会のことはなんとなく知っていましたが、叔母がそこに集っていることは知らなかったのです。
そして、私は誘われて双葉町キリスト集会(群馬キリストチャペルの前身)の午後の福音集会に出ました。どんな所なのだろうとはじめは不安もありましたが、行ってみると自分が思っていたイメージとは違って、明るくて家庭的な雰囲気の集会だったので、なんだか安心しました。
本当の愛
聖書の話がされていく中で、私は、神様は確かにおられ、これが真理であり本当のことなのだ、という確信が与えられ、神様を信じたいという思いに心が変えられたのです。
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
ヨハネ十四章六節
神様の存在を知ったとき、私はうれしくなりました。私は、自分では気付かなかったけれど、心の奥底では本当の愛、真実、そして何よりも神様のことを求めていたのです。いじめを通していろいろなことを深く考えることができ、主(神様)を求める心も与えられ、さらに双葉町の集会にまで主ご自身が守り導いて下さいました。これらのことが分かってきたとき、すべて主のご計画であり、一つ一つの経験は決して無駄ではなかったのだと教えられました。
そして私は、私の罪のためにイエス様が十字架で死なれたこと、また三日目によみがえられたことを信じ受け入れました。主はなぜこのような悪い者を放っておかずに救って下さったのか、本当に不思議です。そのことを考えるとき、主の愛の深さ、広さを教えられます。
それから一年後、私はバプテスマ(洗礼)を受けました。
変えられた人生
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ三章十六節
その後、私は大検を受け、短大に進むことができました。主のあわれみにより道が開かれたのです。そしてさらに主は、就職への道も開いて下さり、仕事も与えられ感謝です。
主はいつも私を助け導いて下さり、慰めや励ましを与えて下さいます。主に支えられ、また多くの人に支えられて、今まで歩んでくることができました。
クリスチャンになる前は自分が嫌いで受け入れられない者でしたが、クリスチャンになり、主がありのままの私を愛し受け入れて下さっていることを知り、初めて自分を愛し、受け入れ、大切にすることができました。また、十代という若い時期に信仰を持つことができ、本当に良かったと思います。
主はすべてのことを知っておられ、この方を信じ、頼っていけば必ず道を開いて幸いな道に導いて下さいます。これからも主を信じ、兄弟姉妹と共に、主と共に歩む幸いな人生を歩んでいきたいと思います。
「生きること思うこと」ーわたしの信仰雑話ー
三浦綾子著
四十四編の随筆からなり、一つ一つが独立したテーマになっているので、気軽にどこからでも読むことができる。今から二十年以上前に書かれたものであるが、キリスト信仰のすばらしさが至る所に表されている。
内容も身近な体験などを例に書かれており、「なるほどそうか」とうなずくことが多く、著者の物事に対する見方や考え方が示され、生きていく上での知恵が得られる本である。
(新潮文庫 定価四八〇円)