CHAPEL NEWSLETTER
群馬キリストチャペル発行 第16号
永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。
−エレミヤ書31章3節−
目 次
心の時代-ある結婚式の風景-
中野 覚
「うーん。これはすごい。」
クリスチャンのSさんの結婚式に出席し、思わずうなってしまいました。
新郎は、「自慢の妻を紹介します。」と語り、「妻は、私が守ります。」と結びました。新婦は新婦で、自らマイクを握り、「お母さん、あなたの歩んできた道のりは、どんな言葉よりも私にいろんなことを教えてくれています。お母さんのようにすぐにはなれないでしょうが、これからはTさんとともに歩んでいきます。」と、涙に声を震わせながらも、しっかりと言い切ったのです。
二人の積極的な言い表しを通して、私はそこに神を土台にした結婚の力強さと幸いを目撃したのです。
さて、「心の時代」と言われて久しくなります。「物の時代」は、とっくに終わってしまい、新しい二十一世紀になったはずなのに、なかなか新しい時代が来ないと感じておられませんか。結婚したばかりの二人は、今、スタートラインに立ったばかりで、物質的には不十分な面もあると思います。しかし、それでもなお、このように満たされているのは何故でしょうか。私は、人が神に愛されていることをはっきりと知り、人が相互に受け入れ合い愛し合う時、心が満たされ、「心の時代」が始まると教えられたのです。
「心の時代」は、自分を取り巻く社会の中に存在するのでなく、あなた自身の心の中に、あなたが神とともに作りあげるものではないでしょうか。
神様の愛の中に生きて
渡丸 俊江(高崎市在住・主婦)
私は、二人の息子と主人の四人家族で、主婦です。
小さな者(身長だけでなく…)ですが、幼いときからのこと、今考えていることなどお話してみたいと思います。
子供の頃の私は、弱虫でおじいちゃん子の甘えん坊、ひとりでは何もできない子でした。
保育園に行くのがいやで、母親が
「行かないと押し入れに入れるよ」
と言うと
「押し入れに入ってる」
と言ったそうです。
小学一年生の頃、ノートが引っかかって花瓶をひっくり返してしまった次の日、
「学校へ行かない」と母親を困らせたこともありました。五年生の時、笛のテストで指ががたがた震えている私に先生が「取って食やしないよ」
と言ったのを覚えています。両親は店をしていましたので、いつも忙しく働いていましたが、私たちむすめ二人のことはいつも心にかけてくれていました。病気の時母は一晩中そばについていてくれました。よく歌を歌って聞かせてくれたことを思い出します。(ポケットの中にはビスケットがひとつ…)
高校卒業後、専門学校に入ったとき一人の人に出会いました。彼女はしっかりしていてきらきら輝いて見えました。満たされない思いでいた私は彼女にひかれていきました。すぐにクリスチャンであることがわかりました。よく聖書の話をしてくれました。誘われて行った初めてのバイブルキャンプで迎えてくださった宣教師の暖かな笑顔が忘れられません。教会にも集うようになりましたが、あるとき
「神様は、いつもどんなときでもあなたのことを愛していてくださるんですよ」と言うことを聞き、神様を信じるようになりました。それからいろいろなことがありましたが神様がいつも守ってくださいました。人の前で足がガクガクでも守ってくださいました。失敗してもそれを益としてくださいました。また、勇気も与えてくださいました。こんな私が今は児童委員をさせていただいていますが、神様が愛している地域の人たちのために少しでもお役に立てたらと願っています。
いまの子供たちやお母さんたちをみていて思うことは、子供にも、親にもしっかり受け止めてくれる人が必要だと言うことです。みんな不安を抱え、迷っているような気がします。若いお母さんたちは、子供をどのように受け止め、何を教えたらよいかわからないでいます。昔は大家族でしたので、親から教えてもらったり、近所のおばさんに助けてもらえたことが、今は核家族化、少子化が進み、相談に乗ってもらえない傾向にあります。自由とわがままを勘違いしているお母さんもいます。何をしかったらよいのかもわかりません。
私は小学生の頃、してはいけないことをしてしまったことがありましたが、そのときはそれが悪いことという意識ももてませんでした。後になって後悔しましたが、どうしようもありませんでした。神様の話を聞くようになってはじめてそれが罪であることがわかりました。いつも見ておられる神様を伝えることが子供を悪から守ることになるのではないでしょうか。まさにしつけの基準は神の言葉である聖書にあるのです。聖書は罪について教えるだけでなく、許しについても語っています。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、
いのちを得させてくださいました。
ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。
Tヨハネ四章九、十節
神様は私の罪を背負って十字架にかかってくださいました。それは、私を愛してくださっているからだと知りました。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
イザヤ書四三章四節
私の造り主である神様は、私のすべて(性格、弱さ、…)を知っていて、ありのまま受け入れてださっているのです。そればかりか私の存在そのものが大切だと言ってくださるのです。
人は愛されて初めて他の人(子供も、主人も、周りの人も)を大切に思えるようになるのではないでしょうか。ぜひ子供を育てているお母さんたち自身に、神様に愛されていることを知ってほしいと思います。そして、肩の力をぬいて神様の愛の中に生きてください。
弱い私ですが、神様にささえられつつ、子供やお母さんたちのお役に立てたらと願っています。