CHAPEL NEWSLETTER
群馬キリストチャペル発行 第19号
こういうわけで、
いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で
一番すぐれているのは愛です。
−第1コリント13章13節−
目 次
もっとも大切なもの、愛
小杉正雄
「今が、人生の中で一番良い時です。神様の愛が分かってきました。」
これは今夏召天された、神様を喜び、家族を愛された一人の女性の方の言葉です。
初めて集会に来られた時、すでにガンにかかっていることが分かっていました。神様を求める思いを持っておられ、神様の存在について話をすると、素直に「はい」と受け入れられました。
その後、集会に熱心に来られ、「神様が与えてくださる愛が分かる。家族をもっともっと愛することができるようになった。」と言われていました。人生の中で「もっとも大切な愛」を得られたという喜びがそこにありました。
愛とは「そこに存在する人を喜ぶ。大切に思う。」という意味があります。そして、人は愛を感じるとき、生きていて良かったと思うことができます。
この愛を神様は人に与えてくださいました。
今年の六月末再発のため入院することとなりました。その中で是非と願われたことが、バプテスマを受けるということでした。自分が神様の愛のうちを歩めたということを、はっきりと表しておきたいという決意の表れでした。
神様から愛された一人の女性を通して、もう一度「もっとも大切なもの、愛」のすばらしさを教えられました。
生きておられる神
関根 久美子(高崎市在住・栄養士)
●ある朝に
今朝もとなりで「アーアー」(早くおっぱいをくれー)と声がする。八ヶ月になった息子に起こされて眠い目をこすりながらおっぱいをあげる。息子は満足すると眠ってしまったり、一人遊びを始めたり………そんな子を主人のとなりに置いて「よいしょ」と動き出す私。
新聞を取りに外に出ると実家のある山の方を見て思う。今日は晴れて暖かいだろうか、雲がかかって肌寒いだろうかと。私が生まれ育ったのは尾瀬のふもとの片品村です。
●何故生きるのか
私が中学生の反抗期の頃だったと思います。友人と一緒だと楽しいのですが、一人になると空しくなることが多くなり、何故勉強するんだろうと思い始めました。そしてそれはしだいに、何故生きるのだろう、(成長することは一歩一歩死に近づくだけなのに)という考えに変わっていきました。でも当時は、そういう考えを友人に話して変な子というレッテルをはられるのが怖くて、誰にも言い出せませんでした。唯一、先生の中でこの人なら受けとめ、答えてくれるだろうと思い聞いてみたところ、「そんなことを考える時間があったら勉強するんだよ」と言われ、このことは考えてはいけない問題なんだと自分に言い聞かせ、心の奥に沈めてしまいました。
●疑問の答え
時は流れごく普通の高校生になり部活に明け暮れた日々を送りました。三年の春に部活を引退したら心の中にポッカリすき間ができたようでした。これから先のことを考えなければと思っていた頃同じクラスの友人から声をかけられました。「今度、高校の先生をしている人が来て学生向けに聖書の話をしてくれる集まりがあるのだけれど来てみない?」
とまどう私にさらに優しく、「一度来てみて嫌だったら次に無理して来なくてもいいから。それに話が終わった後お菓子も出るし…。」どんな所かな?と不安だったのですが(嫌なら次から行かなければいいんだしお菓子をいただいて帰ってくればいいや!)と何ともいいかげんな動機で出かけたのでした。扉を開けて中に入ると、「あれ?何であなたがここにいるの」。
私の仲良しの友人が居たので、すっかりリラックスして話を聞けました。
初めに神が天と地を創造した。
創世記一章一節
その時の話の内容はよく覚えていませんが聖書の一番始めに書かれていた御言葉が頭から離れませんでした。過去に心の奥に沈めていた『何故生きるのだろう』という疑問に対しての答えがあそこなら見つかるかもしれない。それにあそこで話を聞いて帰る時は何だか心が落ち着いているし、また行ってみようかなと思い、学生の集まりに続けて参加するようになりました。ほどなくして日曜日の教会へも、導かれました。
神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることがなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書三章十六節
これほど不確実な自分の考えによって生きていったら不安だらけで『死』が怖いけど、聖書の神様は、イエスキリストによって『死』の問題を解決して下さっている。話を聞くうちに自分中心から神様が中心にいて下さる心へと変えられ、生きる喜びに満たされていきました。
そしてイエスキリストの十字架は自分の罪のためであったと受け入れることができ、十二月にバプテスマを受けました。進学のため三年間東京へ行き就職は群馬に道が開かれ帰って来ました。
十六年間仕事を続ける中でいろんな問題にぶつかり何度神様に「どうしてですか?何故こんなことがおきるのですか?」とさけんできたことか。ですがその時その時に必要な知恵や教会の方々の慰めをいただきながら、
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
伝道者の書三章十一節
この聖書の言葉を実体験させてもらうことができました。
●結婚への導き
結婚についてはずっと考えてきましたが、二年前に主人との出会いを通して悩み祈る日々が続きました。「人間はいつまでも変わりたくないものと変わっていくものの両輪で成り立っている。日常のものにとらわれすぎて心を乱す時、神様から目を離してしまう」という先輩のクリスチャンの言葉にはっとさせられ目を外に向けました。
私は山に向かって目を上げる、
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
詩篇百二十一篇一節
結婚に踏み切っていったとき、これから起こるであろう問題についてばかり考え、自分で神様をどんどん小さくしていたのに気付きました。そのときこの聖書の御言葉が響いてきました。そして心が軽くなり神様にたよりきって前進することができました。
実際問題として職場の異動、それにともない一ヶ月間別の地での下宿生活等々いろいろありましたが、教会の方々の暖かい支援と神様の大きな愛をいただきながらクリアしてくることができました。
結婚後少し落ちついてから、「神様はとても大切な問題の時、一つ一つをより具体的にわかりやすく示して下さるね。」と先輩に声をかけてもらい心からうなずきました。
●これからも神様中心で
主人との歩みの中で、けんかをすることもありますが、私にとってはこの人が誰よりも大切であり必要なんだと教えられる日々です。息子が与えられた現在、毎日があわただしく過ぎていきますが、天地を造られた神様を心のよりどころとして生活できる嬉しさと、主人とともにこの神様を賛美できる楽しさを教えられています。
初めて経験する育児については、まだまだいろいろ悩んでいくのでしょうが、教会で行われている『親子遊びの集い』に参加して他のお母さん方と話をしたり、主人としっかり話しあったりして神様が中心に居て下さる幸いな家庭をこれから先も築いていけたらと願っています。