【 赤城高原ホスピタルの診療−勤務医からの報告 】   赤城高原ホスピタル

(改訂:10/04/29)


[はじめに]  赤城高原ホスピタルにおける診療は、一般精神病院や総合病院精神科病床のそれとはかなり違っているようです。ホスピタル開設時からそこで働いている院長や長く勤務しているスタッフには、日常的な普通のことも周りから見ると新鮮に見えるようです。ここでは当院での勤務期間の短い医師の方々から、率直な印象を報告していただきました。(このページは、未完成です)


[ 統合失調症治療から依存症治療へ ]


 依存症の専門病院「赤城高原ホスピタル」に勤め出して早くも半年が過ぎた。もともと私は統合失調症を中心とした医療に関わってきたものだが、精神療法やグループアプローチに次第に惹かれてきて、こちらで働かせてもらうことになった。慣れたとはまだとても言ないが、依存症医療のきつさと魅力の一端をかいま見ることがある。そこで統合失調症中心の医療と依存症医療の違いに触れながら、印象をつづって見たい。

 まず、朝の申し送り。「冷蔵庫に入れておいたプリンが盗まれたと言っています」「トイレに吐物がありました」などと行動的でめまぐるしい。「ゆっくりじっくり」患者さんと関わることに慣れていた私は目を丸くするばかりだ。

 次に当直。予定の時間になっても帰らない外出者から、呂律の回らない多弁な弁解の電話が来ることがあるが、あのおとなしい人がこうも変わるものか、と応対にどぎまぎする。(今はスリップして、飲んでいるなと直に分かるようになったが。)

 アレグロと言うかプレストと言うか、ことごとくテンポが速いし、エネルギーが大きい。待ってくれない。休日で一息入れて出勤すると、気にかけていた患者さんは休みの間に退院してしまっている。基本的に任意入院なので、本当はまだ治す気のない人はじきに馬脚を現して出直すことになる。

 でも、患者さんと一対一の話はいい。つい聞いてしまう。酒のために、何もかもを失ない、失ってはじめて人生で何が大事か身に応えている人だから、ジンとこちらの骨身にまで沁みてくる。そんなところで感激していると、振り回され続けた家族の話を聞かされて、そんなおセンチも吹っ飛ばされる。本人は、まだ酔っぱらっていた時の現実は知ってないんだな、と更なる現実を突きつけられる。

 一人では無力だから、仲間の助けを借りるということをいち早く始めている。統合失調症の世界では、自助グループというのは端緒についたところだろう。安心の場としてのピアグループが地域にやっと出来たところでこちらに来たら、ここではすでに文化になっている。ときどき回復者のメッセージがある。よくそこまで赤裸々に自分の恥ずかしいところまで話すことが出来るものだ、と感じ入る。メッセンジャーは、ひょうひょうとしていて、人というもののおかしみをにじませる。

 ヤロムの「普遍性・分かち合い」「愛他性」「希望をもたらすこと」「実存的因子」といったグループの力が、ここでは当たり前のように前提になっている。ヤロムはそう言えば、ずいぶんAAのことを引き合いに出している。いや、AAでは「12のステップ」がすでに整理されていて、認識のレベルがスピリチュアルなところまで突き抜けている。このことは精神医学界に浸透しているだろうか? 自分に変えられるものと変えられないものを見分ける賢さが、精神医学、いや私にあるだろうか、と実存的な問いを投げかけてくる。「底つき」体験をターニングポイントとすると言うが、そのポイントの深さが並ではない。すでにAAは世界134カ国、200万人以上のメンバーを数える世界最大規模の自助グループが出来ていると言うから、広さも並ではない。

 依存症は精神医療の中ではマイナー、端的に言うと敬遠される世界であろう。アル中、薬中、などと揶揄するような言い方をして言い捨てる。そこではよく薬を使う。精神医学の否認の領域であるのかもしれない。私がそうであった。嫌な現実は見たくない、関わりたくない、と。あるいは、嫌なところが刺激されるからか? 竜宮城で酔っぱらった浦島太郎が最後に見たものは? 愕然とする。しかし、そこから真の絆を回復させてゆくのだろう。なかなか、人生が丸ごと示されていて、味わい尽くせない世界がある。(08年1月、松本 功)


解説(院長から)
 文中のヤロムというのは、ヤーロム,アーヴィン(Yalom,Irvin D.)のことです。
 ヤーロムは、1931年ワシントンD.C.生まれ。スタンフォード大学精神医学名誉教授。集団精神療法、実存精神療法を専門とする。精神療法に関する著書とセラピーを題材にした小説を執筆する著作家でもある。住まいのあるカリフォルニア州パロ・アルトとサンフランシスコで診療している。日本で翻訳された著書としては以下のようなものがある。☆ヤーロムの心理療法講義−カウンセリングの心を学ぶ85講(白揚社、07年10月)、☆ニーチェが泣くとき(西村書房、98年)、☆グループサイコセラピー新装版−ヤーロムの集団精神療法の手引き(金剛出版、97年)、☆恋の死刑執行人−心の治療物語(三一書房、96年)。[TOPへ]


[ 半年を振り返って−自分の気持ちに正直に生きる ]


 慌しくも、充実した日々を送っています。

 赤城高原ホスピタルに勤めて、興味深く感じていることは、患者さんとの関わりです。ホスピタルの1番の魅力は、個性的でとても人間的な患者さんたちともいえるでしょう。その人の人生の中で、大切に感じ、支えとなっていたものが、本当は自分を苦しめている要因であることに気づき、それを手放していく。その対象がアルコールだったり、薬物だったり、食べ物だったり、それは人によって異なります。仲間との交流や入院生活の中で、感じ、考え、自分らしい生活を取り戻すために必死に生きていこうとする姿は、圧倒されます。

 もちろん、大切だと感じていたものを手放す作業は、決して容易なことではありません。不安が強くなったり、時に苛立ちや怒りをぶつけられたりすることもありますが、当然のことでしょう。その時に感じるさまざまな感情は、患者さんに特有なものではなく、私たちが感じる感情にも合い通じるものがあると思います。その感情に目を向けることの大切さや、「自分の気持ちに正直に生きる」ことを、私は患者さんから教えられました。たくさんの仲間と支え合い、分かち合っていくなかで、自分らしい生活を回復させていく。その患者さんのひたむきな姿や言葉に、私は胸が打たれます。今まで見逃してきたことに、改めて気づかされる思いがします。

 自分が患者さんに何かをしてさしあげた、ということよりは、はるかに、患者さんから教えてもらったことや気づかされたことのほうがたくさんあります。なかでも、この「自分の気持ちに正直に生きる」は、私にとって印象的な言葉です。単純なようでいて、けっこう難しく、自分の生活の中の、ふとした時に浮かんできて、(これでいいのかな?)と、自問自答することがしばしばあります。

 実際には、赤城高原ホスピタルに勤務するまでは、かなり悩みました。

 「もともとはアルコール依存症の専門病院だったけれど、最近は摂食障害や、リストカットする人がたくさんいるらしい」「おまけにその人たちが回復しているらしい」といううわさ。(いったいどんなことをやっているのか?)(何だか恐ろしいな)…自分としては、何となく興味はあるけれど、謎な存在で、近寄りがたい印象でした。また、これまでにアルコール依存症の治療経験が少なかったこともその要因でしょう。

 けれども、人生はいつ、どんなことが起こるか全くわからないもので、落ち込みや不安、怒りを感じながらも、赤城高原ホスピタルとつながり、そのなかでも不安や葛藤を繰り返したり、喜びや楽しみを感じたりしながら、いろいろな偶然が重なって、2007年の8月から勤務しています。

そして半年が過ぎて。

 ホスピタルの特長にもあるように、入院患者さんの回転はとても早いですが、一人ひとりの診療にはじっくりと時間をかけるゆとりがあります。回転が早い割には、患者さんとの関係は濃密です。これは、他の精神科病院では経験できない、貴重な体験かと思います。

 ホスピタルに勤めて、こうしたすばらしい患者さんたちと出会えたことが、自分にとっては1番大きな出来事です。そして、今後、またどのような人たちとめぐり合って、どんな体験をして、どのようにひろがっていくか、とても楽しみであり、やりがいを感じています。

 その他にも赤城高原ホスピタルの良いところはたくさんあります。

 ホスピタル全体が持つ、なんらかの治療的作用もそのひとつです。ホスピタルは、自然豊かな高原の中にひっそりとあります。施設を構成、運営する看護職員、精神保健福祉士、事務員などの職員はもちろん、建物、風土、地域の人たちが作り出す、目には見えない、あたたかな空気が流れている気がします。おいしく家庭的な食事や、癒しの効果抜群な天然温泉も特色のひとつです。

 また、常に真摯で、より良い治療を提供する姿勢があります。職員それぞれが、自分の分野でいつも一生懸命に取り組んでいることはもちろん、さまざまな研究会などへ参加したり、日々の診療で試行錯誤したりしながら取り組んでいます。

 どの職員も、全入院患者さんの名前や病状などをほぼ知っており、チーム医療が行なわれています。たくさんのスタッフが、それぞれの患者さんに関わっているため、患者さんの回復のために、さまざまな視点から、有益な意見が出ます。(よく見ているな…)といつも感心させられます。

 個人的なことをあげれば、患者さんとの関わりについて、名誉顧問である丸田俊彦先生にスーパービジョンを受けています。自分では気づかなかった視点でのご助言や、言葉で表現できなかったことが、明確になっていく感動があります。自分自身の精神科診療における大切な肥やしとなっています。

 さらに、丸田先生と院長の竹村道夫先生が、毎週1時間、診療時間後に、英語でcase conferenceを行なっています。Typical Akagi Caseに対する院長先生の治療戦略や家族療法的アプローチ、それに対する丸田先生のコメントなどが聞けます。同じ内容を日本語で聞く以上に、英語で聞けることは、何とも刺激的な体験です。

 こうした治療環境の中で、ホスピタルには全国からたくさんの患者さん、もしくはその御家族の方がいらっしゃいます。どの方も、さまざまな悩みや問題を抱えてホスピタルにたどり着きますが、豊かな環境や自然の中で緩やかに回復されていきます。
ホスピタルに来る前は殺伐としたイメージを持っていたのですが、実際は全く異なりました。私自身もたくさんの人との出会いのなかで、穏やかな気持ちとなり、患者さんと一緒に豊かな時間を共有させてもらっている気がします。心なしか、眉間のしわが目立たなくなってきたようです。

 赤城高原ホスピタルの魅力をうまく伝えられれば、と思うのですが、やはり文章だけでは難しいことのようです。少しでも関心のある方は、ぜひご自分でお出掛けいただいて、ご自分の目で、気持ちで感じて下さい。それが、一番正確なのかと思いますので。

 そして、最後に。患者さんはとても魅力的ですが、やっぱりなかなか手ごわいです。一筋縄ではいきません。それもまた真実です。まだまだ研鑽が必要と思う今日この頃です。(08年4月、清水裕美)     


解説(院長から)
 これは医療全体についても言えることですが、嗜癖問題の治療ではとくに、精神科医師は自分の能力や技量の限界に早く気づくことが大切です。余計な手出しをしないで、ただただ感動しながら患者さんやご家族の回復を見守るのが最善の治療であるという場合が少なくありません。清水先生がホスピタル勤務半年でそれに気づかれたのはすばらしいことです。

 文中、「英語で case conference」というのは、私、院長が、1週間のうちに診た興味ある新患や担当している患者さんの変化、診断と治療戦略などを3ないし6,7症例についてカルテを見ながら紹介し、丸田先生がコメントしたり、参加者でディスカッションしたりするものです。いわば即席英語 case study です。清水先生もただ聞いているだけではなく、議論に参加したり、症例報告したりします。毎週月曜日の7時から1時間で、07年夏から続いています。

 嗜癖問題臨床研修中の医師にとっては、毎日が on-the-job training ですが、このほか、まとまったものとしては、看護師やPSWも参加する病棟会議(月に2、3回)や、毎週の全新患を紹介する医局会議(医師とPSW参加、月に3、4回)などがあります。[TOPへ]


[ 面白くて楽しい赤城高原ホスピタルでの研修と診療 ]


 私は週に1日、赤城高原ホスピタルで勤務をしています。同じ医療法人の群馬病院で常勤医になりたての頃、当院での勤務も勧められたために、H18.7末よりパートで勤める事になりました。ひょんなことから縁がつながった赤城高原ホスピタルですが、かれこれ2年間楽しく勤めております。まだ医歴5年のひよっこですが、当院に勤務し研修を受けている感想を率直に書かせて頂きます。
 
 診療を実際に行う前は、アルコール依存症、薬物依存症の患者さんに関しては、マイナスイメージばかりを抱いていました。これまでの経験では、彼ら彼女たちは、離脱せん妄で入院してきても、その状況を脱すると、依存症そのものに対する治療意欲がないために、拒薬をしたり、暴言を吐き、粗暴な行為をしたり、また治療を始めてみても直ぐに脱落してしまうことが多かったためです。そのため、赤城高原ホスピタルでの診療に対する心配や不安はとても大きいものでした。

 しかし、いざ診療を始めてみるとそのイメージは良い意味ですぐに裏切られました。患者さん方の主病名は、アルコール依存症、薬物依存症、摂食障害など様々ですが、面接をしていると、症状の話はさておき、結局は対人関係、生き方の話題に収斂していきます。そして彼ら彼女たちの不器用ながらも必死で頑張っている姿に接する事ができます。また自分の不器用さにも気付かされる事となります。

そのような治療関係を可能にする治療構造として、当院での入院形態が、殆どの患者で任意入院であるという事が重要だと思います。患者さんの多くが「何とかしたいけど、どうしても止められない」との切実な訴えや、問題意識と治療意欲を持たれて入院されるので、治療協力が得やすいのです。また、強制入院ではないので、治療モチベーションの低い方は早期に自主退院されていきます。主治医としては、「治療したくなったら、またいつでもいらして下さいね」と遠くからその方を応援する事となります。従って、無理矢理に引き止めて治療をするというストレスがありません。

 また、当院ではグループ治療(集団精神療法)を盛んに行っている事にも一因があると思います。一般に摂食障害などの治療では、患者さん方は、身体の訴えばかりをすることが多く、主治医はそれに対し診察や処方をしていき、折に触れて心と身体の関係を根気強く話していく事で、その心理的背景にアプローチできる場合が多いと思います。ところが当院の患者さん達は、グループで先輩患者、卒業生など様々な方からその経験談を聞くからでしょうか、心と体の症状の結びつきへの気付きが早いのです。またグループで繰り返し自分のことを話す訓練をするので、個人面接でも自分の内界を良く喋られます。その様な患者さんと接するのは、精神療法を志している者としては、「これは面白い」となる訳です。

 当院はアルコール症の専門病院ですが、入院患者さんは中年、老年の男性ばかりではなく、若い女性も多く、B.P.D.レベルの人格をベースに多重嗜癖、自殺・自傷行為、解離症状など多彩な症状で苦しまれている患者さんが少なくありません。このような病態では、薬物療法の治療効果は限定的で、力動的な見立てと精神療法が必要不可欠です。そして集団精神療法が盛んな治療的雰囲気の中で、全ての方とは言えませんが、患者さんがそれなりに回復をしていくのを目の当たりにします。「面白い」と思えるのは、主治医として多くの患者さん方と関わっていて、個人・集団精神療法が実際に重症患者の回復と自立に役立っているとの実感があるからです。

 嗜癖の患者さんを相手にして「面白い」と思えるには、竹村道夫院長を始めとする医師ばかりでなく、嗜癖問題に関する職人であるコメディカルの存在も忘れる訳にはいきません。日本集団精神療法学会員であるPSWが5人もおり、力動的にグループ、家族を捉え、それを他のスタッフと共有していく作業や、ヒステリーで倒れてしまった患者さんを躊躇無く抱きかかえる看護師を目の当たりにすると、こうしたスタッフによって当院が成り立っている事が良く分かります。
 
 精神療法という事で言えば、パート医であるにも関わらず、丸田俊彦名誉顧問に毎週1時間マンツーマンで指導(スーパービジョン)を受けられる事も赤城での研修と診療の楽しさに彩を加えています。私が勤務を始めてから1ヶ月後に、偶然にも丸田先生が当院に顧問として勤められる事になりました。当初プライベートレッスンを受ける事となった際、その経歴から私は相当にビビッていました。しかし、丸田先生から『「サイコセラピー練習帳」を先ずやってみるのはどうか?』と提案され、『「サイコセラピー練習帳」って何ですか?』と失礼な質問をする位無知の私に対し、そんな事は全く気にされず、常にこちらの視点に立って懇切丁寧に教えてもらっています。余りに視点を一緒にされるので、一緒に学んでいる感覚になる事も多い位です。

 指導を受けていていつも思う事があります。例えば丸田先生には沢山著書がありますが、それを全て読破したとして、では丸田先生の臨床感覚が伝わるか?というとそれはちょっと無理だと思うのです(勿論伝わり方は人それぞれですが)。患者さんは個人個人その特徴が異なり、その見方は単純に公式化できるようなものではなく、臨床は口伝だからです。そのニュアンスを学ぼう、楽しもうと思えばその雰囲気を実際に味わってみるしかありません。そして赤城高原ホスピタルには院長始めスタッフ全員が作り出した特有の治療的雰囲気があると思います。
  
 そしてどなたか関心のある方、是非この面白くて楽しくてしかも充実した赤城高原ホスピタルでの研修と診療の時間を分かち合いませんか? (08/06、山田 貴志)。


[ 内科産業医から嗜癖治療へ ]

赤城高原ホスピタルに常勤勤務して10カ月ほどたちました。私は元々内科や産業医をしていたため、精神科医として働くのはこちらの病院が初めてです。通常は精神科病院や大学病院で精神科全般を経験したあとで、このようなやや特殊な病院に移ることが多いのですが、私は精神科と嗜癖(依存症)の両方について初心者のまま勤務させていただくことになりました。

私がアルコール依存症や摂食障害の患者さんと最初に接したのは内科の研修医の頃です。救急当直をしていると泥酔状態の方をよく診る羽目になるのですが、酔っぱらいが夜間外来に来ると、暴れたり大声で叫んだり吐いたりして迷惑としか言いようがありません。本心ではただの酔っぱらいとしてさっさと家に帰したいのだけど、頭を打っているかもしれないし、呼吸が止まる可能性もあるので、念のために救急外来のベッドで一晩経過を見ることが多く、すると翌朝ケロッと目覚めて暴れた記憶は全くなし。研修医というのは連日早朝から深夜まで働いて疲れ果てているわけで、「俺達が死ぬほど働いてるのに、お気楽に酒を飲んで人に迷惑をかけてなんという人たちだ!」と、彼らに対しては恨みの感情を持つことがよくあったように思います。

それからしばらくたって、アルコール依存症に再びかかわり始めたのは産業医となってからです。会社でよく問題になるのは生活習慣病と精神疾患、特にうつ病です。生活習慣病はそれなりに対処できるのですが、精神疾患はよくわからない。そこで精神保健センターで研修を受け、精神疾患や面接法について広く浅く教えていただきました。たまたまその精神保健センターがアルコール・薬物依存症の当事者ミーティングや家族会に力を入れていたこともあり、毎週アルコール依存症の家族会に出ることになり、そこで依存症に興味がわいて、赤城高原ホスピタルに勤めることになったのです。

勤務し始めたころは、率直に言いますと、何をすればいいのかよくわからない状態でした。よく、“嗜癖問題を治療するうえで精神科医にできることは限られている”と言われますが、私の場合は精神科医になりたてですから、できることは実際にかなり限られているわけです。 

不思議なのは、知識・技術ともに未熟な私が主治医となっても、患者さんは当事者のミーティングに出て、スタッフと交流して、何かを得て、回復していくということでした。癌は切らないと治らないのですが、依存症の場合は患者さんが自力で回復していくのです。(もちろん、回復力のある患者さんを担当していたという面はあります)

はじめは「俺はアルコール依存症じゃない!」と言っていた人が、いつのまにか「ミーティングに出ていると、なんだか酒はやめないといけないかな、と思うようになりました」と言い始め、回復してしまうのは本当に不思議な経験でした。

患者さんがどうして変わるのかと理由を考えると、やはり、スタッフや患者さんを含めたこの病院全体のもつ力なのかと思います。自然豊かで心安らかになる環境に立地し、スタッフが安全な雰囲気を作り出す。その環境の中で患者さんは過剰に制限されることなくゆったりとすごしつつ、当事者ミーティング、回復者メッセージ、医師の診察やソーシャルワーカーとの面接、看護師との会話などを経験しながら、それぞれのペースで各自の問題を理解し解決していくのでしょう。

嗜癖問題について学ぶという面ではこの病院は恵まれています。入院患者はみんなアルコール依存症か薬物依存症なのですが、それぞれの患者さんのもつ病状は当然ながら千差万別で、診断や治療するうえでわからないことは毎日のように出てきます。竹村院長を始めとしてベテランの先生方にいつでも気軽に尋ねられる雰囲気がありますし、加えて週に一回、丸田俊彦先生のスーパーバイズを受けることができて、ひとつの症例をゆっくりと検討する機会もあります。

この素晴らしい治療環境、教育環境に多くの治療者の方々が来ていただけることを願っています。(10年4月、佐藤伸一郎)

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  自慢の職場−Jamic Journal 記事
  赤城高原ホスピタル医師募集
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AKH 文責:竹村道夫(初版:20/01)


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