【 摂食障害、仲間からのメッセージ   赤城高原ホスピタル

(改訂: 08/08/19)


[目次] [はじめに] [現役摂食障害者からのご相談:もう限界です] [摂食障害者家族からのご相談:できることはすべてやったつもりですが] [ホスピタルの職員になりました] [もういい子なんてやりたくない] [仲間から気づきや自己発見をもらいます] [まだパニック状態です] [ご家族は見守ってあげてください] [誰にでも状況が変わる時があります] [いろいろやったけど、いまも生きています] [とりあえずだらだら生きています] [どんなときにもひとりじゃないんだよ] [どんな方法ででも生きててください] [自助グループは、注射のようにはすぐに効かないけれど、・・・] [すぐに人が信じられなくてもOKです]  [とりあえず出だし好調です]  [病気になっていろんな事に気づけたし、良かったかなとまで思うんです] [治療していない娘も改善中です]  [むちゃ食い障害を知っていますか]  [あなたが生きていることを喜んでいる人間はここにもいます]  [たった1週間で退院しましたが、・・・]  [親の私にできることは、家族会に参加しつづけることです] [before、after の写真にだまされて300万円つぎ込みました] [ごくごく平凡に] [過食も無し、リスカもなしで、元気いっぱいです] [摂食障害の男性です] [院長からのメッセージ.回復者10人に会ってください]   [摂食障害目次に戻る]    [トップページ]    [サイトマップ]


[ 別ページの関連事項 ]
 ■ クロス・アディクション、仲間からのメッセージ
 ■ 摂食障害と対人恐怖、仲間からのメッセージ
 ■
AKH体験記
 ■ 摂食障害、200人の証言


はじめに  「ご返事を書ききれません。回復者の声を聞いてください」
 当ホームページの読者(摂食障害のご本人とご家族)から、多くの個別相談のEメールをいただきますが、とてもお返事を書ききれません。そうはいっても、みんなそれぞれ切実な内容のご相談なので、放置もしておけず困ってしまいます。そのようなメールのいくつかを、私の周りにいる回復者と回復途上の人たち(+いま病気の真っ最中の人たち)に見せて、メッセージを書いていただきました。


現役摂食障害者からのご相談の E-mail  「もう限界です」
 摂食障害になって10年以上になります。精神科の病院にも何度か行きましたが、長続きはしませんでした。家族の勧めで3度入院しましたが、精神病院の環境や厳しい監視下の行動療法になじめず、いずれもすぐに退院してしまいました。病院に恐怖感をもってしまって、最近は治療はしていません。何とか普通の人のようになりたいと、これまでがんばってきましたがもう限界です。家族ももう私のことを見捨てたようです。頼る知り合いもいません。自分もひとも嫌いです。ひとと会うことが嫌では、仕事などもできそうにありません。この 3ヵ月近く、他人と会話をすることなくひっそりと生活してきました。なぜ生きているんだろう、と考えてしまいます。何度か死のうとしたことがあるのですが、死にきれませんでした。誰の理解も得られず死んでいくのも悲しいと思いますが、これから一人で生きていくのも辛いのです。こんな私でも回復できるでしょうか。

 ホームページの「摂食障害のご本人とご家族へのメッセージ」に、「もう、これ以上傷つけない」とありますが、本当でしょうか。そのような場所があるとは思えません。自助グループでさえも、私にとっては傷つく場所でした。(1999.2. M.H.さん他) [TOPへ]


摂食障害者家族のご相談の E-mail  「できることはすべてやったつもりですが」 
 娘が摂食障害になって10年以上になります。家庭内暴力がひどくなったので、精神病院に強制入院させましたが、外泊から病院に帰るのを拒否して、自宅に閉じこもっています。強制入院させたことに恨みを持って、それに協力した家族一同にいろいろな嫌がらせをします。通院も拒否しているので、家族が薬をもらってきていますが、服薬も拒否します。過食と嘔吐が続いており、最近ではお酒も隠れ飲みしています。病院に恐怖感をもってしまって、治療を勧めても動こうとはしません。
アルバイトも長続きせず、この3年間はほとんど家から出ようとしません。どんなに言い聞かせても動こうとはしません。私も、もう疲れてしまいました。このような状態からでも回復の可能性はあるのでしょうか。できることはすべてやったつもりですが。(1999.7. K.Y.さん他) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「ホスピタルの職員になりました」
 私もあなたと同じ摂食障害で苦しんでいました。私がこの病気になったのは、14歳の夏休み。今23歳だから、ほぼ10年前の事です。そのころの私は、心の中にぽっかりと大きな穴が開いていて、いつも不安で仕方がありませんでした。自分が嫌いで、毎日死にたくて死にたくて死ぬことばかり考えていました。やせてきれいな体でいられれば、そんな不安から逃れられるんじゃないかと思って、ダイエットを開始しました。でもうまくいかなくて、そんな自分がますます嫌いになるという悪循環でした。精神科の治療では、私も傷ついたことがあります。そのため病気はますます悪化しました。回復は安心感を得られる場所をみつけることから始まりました。

 現在私は一人暮らしですが、食べ吐きも、過食も拒食もしていません。自分がかつて入院していた病院の職員になって、その病院で働くという、以前の私からは想像もつかない毎日です。私は今、私のことが好きです。イヤだなあと思うことも多いけど、イヤなところも良いところも含めて、自分のことを、「けっこういいじゃん」と思っています。そんなふうに自分のことを思えるようになるには時間もかかりましたが、その時間は無駄ではなかったと思います。正しい治療をすれば、すべての摂食障害の人が、自分自身をありのままで受け入れて、私のように気楽に生きてゆくやり方を身につけることができる、と今の私は信じています。自分自身の体験と仲間たちの回復を見ていてそう思うのです。
 一度、ホスピタルに遊びにいらしてみてはいかがですか? ほとんどの摂食障害の人が探し求めている「安心感」を見つけることができるかもしれませんよ。   (1999.3. あさこさん) [TOPへ] 


仲間のメッセージ「もういい子なんてやりたくない」
 私も摂食障害になって10年以上になります。どうして病気になったのか? いま分かることは、私はこの病気によって、「生きるのが苦しくて魂が死にそうだ」と言いたかったということです。それまでの私は、周りの人にとって、放っておいても大丈夫な子、典型的な「いい子」だったけれど、「もういい子なんてやりたくない。いい人なんてやってられない。自分のために生きたいよ」という叫びが病気に出たんだと思います。だからこの病気も私にとって意味があり、必要があったのだと思います。当時の私にはそのことは分からず、ただ苦しくて泣いてばかりでした。自分の本当の気持ちや病気の意味が分かるのに、私の場合には結構時間がかかりました。あなたの場合は、ご自分の苦しさを言葉で表現するだけの力があるから、あと1歩足を踏み出せば、きっと回復の道が開けてくると思います。あなたのメッセージを私はしっかりと受け取りました。あなたは一人ではありません。同じ病気で苦しんでいるあなたのことを見守っています。一人で抱え込まずにいてほしい。同じ悩みを持っている仲間がここにいます。 焦らず、ゆっくり、一緒にやって行こう。  (1999.4. Y.K.さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「仲間から気づきや自己発見をもらいます」
 初めまして、入院して2カ月目のゆう子です。この病院を勧めてくれたのは母でした。その時は「とんでもないひどい目に合わされるのではないか」という恐怖と、仲間と話すと言っても、ただ「辛い辛い」と言い合うだけの馴れ合い集団ではないか、という猜疑心で、入院する気にはなれませんでした。しかし自分の力ではどうにもできなくなって、自分から入院しました。この決定にはかなりの時間と勇気が必要でした。
 入院するときには、1カ月だけのつもりだったのですが、今はもっと時間が必要だと自分で思うようになり、主治医と話し合って入院継続中です。ここでは、回復者のメッセージや仲間の話から気づきや自己発見があります。今まで口に出せなかった出来事や悩みを安心して話せます。 私はいま、ミーティングのありがた味や必要性をひしひしと感じています。辛いことも確かですが、仲間や治療スタッフから共感をもらえます。ここにいればいろいろの回復段階の仲間たちに会えます。回復者の方々を見ていると、この毎日を続けていけば、いつの日か私も自分の足で自分の人生を歩き出せるはずだと思います。あなたもひとりぼっちなんかじゃありません。少なくともここに私がいます。そして私の周りには、大勢の仲間がいます。   (1999.春 入院治療中のゆう子さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「まだパニック状態です」
 摂食障害になって20年、アルコール依存も加わって10年になります。人が怖くて、辛い毎日です。まだ入院して2週間、頭の中がパニック状態です。自分でも何を考えているのか整理できません。
 過食嘔吐の日々は地獄のようでした。でも入院すると、自分だけのその場所に帰りたくてたまりません。いま思うことは、幸せになりたい、ということだけ。どうすれば自分が幸せになれるのか、私は本当は何をしたいのか、それが私の知りたいことです。ご返事になりそうにありません。私も偉そうなことは言えませんが、ご自分の気持ちを第一にしてみたらいかがでしょうか? それって、簡単そうで難しいですよ。私たちの多くは、周りの期待に合わせる生き方しかしてこなかったから。   (1999.春 まだ病気の真っ最中のNさん) [TOPへ]


仲間のメッセージ(家族) 「ご家族は見守ってあげてください」
 子供が食事と体重の問題で苦しんでいると気づいたのは6年位前です。本人はその前3年間も親に言えず悩んでいたということです。当時の私は摂食障害という言葉さえ知りませんでした。どうしたら良いかわからず、親子で精神科をぐるぐるまわる日が続きました。数回の入院、ひきこもり、薬漬けの日々、絶望、・・・・。 あるきっかけで赤城高原ホスピタルを知り、北海道から何度もホスピタルに電話しました。思い切ってお世話になることになりました。その後も順調な回復とは言えなかったけれど、3年後の今は、ようやく娘の摂食障害も落着いてきたようです。3年間は決して無駄ではありませんでした。娘は先生方や多くの仲間から励まされ、目標を持って前向きに生きられるようになりました。
 長い年月がかかるかも知れません。お金も多少はかかります。でも、いまの苦しみからは必ず抜け出す時がきます。ご家族はそれを見守ってあげてください。 (1999.春 摂食障害の娘を持つ母、Sさん) [TOPへ]


仲間のメッセージ  「誰にでも状況が変わる時があります」
 私も数年前までは、先の見えない暗闇の中でもがいていました。人が怖くて閉じこもり、毎日が長く、生きていることの意味がわかりませんでした。今でも人付き合いは苦手ですが、それでも閉じこもりよりは人の中にいる方がずっと良い。私を傷つける人よりも、慰めてくれる人、優しくしてくれる人の方がずっと多いことが分かりました。今はたくさんの人たちに助けられて生きているので、絶対にもうひとりぼっちにはなれません。一人では生きて行けません。苦しんでいる人にこんなことを言うと申し訳ないのですが、今の私には楽しいことがたくさんあって、将来のことを考えるとわくわくしてきます。

 あなたにどういうアドバイスがあげられるか分かりません。ただ、苦しいときには、これが永遠に続くように思うかも知れませんが、現在の状態が一生続くことはありません。私も数年前には今のような人生があるとは思いませんでした。こんな穏やかな日が自分にも来るとは思いませんでした。あっちこっちもがいているうちに、きっとこの暗闇からの出口が見つかります。きっと方向が見えてきます。真剣に考えていれば、勇気を持って踏み出せば、必ず解決法が見つかるものです。いつかは分からないけど、誰にでも状況が変わる時があります。その時期があなたを待っているはずです。うまく言えないけれど、私が赤城で学んだのはそのことです。 (1999.春 幸せいっぱいの A子さん ) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「いろいろやったけど、いまも生きています」
 人間て生きたい人は生きられなくて、死にたい人は死ねないのよね。私も手首切りに始まって、薬のガブ飲み、首吊り、走っている車からの飛び降りなど、いろいろやったけど、すべてダメ。いまも生きています。食べ吐きも続いているし、時々パニックになるけど、それでも自分が悲しいこと、寂しいことが分かるようになりました。以前は訳も分からず、ただ荒れ狂っていました。今は悲しい時には、それを文字にして書きなぐったり、絵に表現したりします。

 私は、アルコール症の父から殴る蹴るの暴力を受け続けてきました。今でも兄弟はバラバラ、両親は離婚訴訟中で、私の家はメチャクチャです。私も対人関係はすごく下手です。それでも、今は一人ぼっちじゃないと感じられます。死ぬことに使ったパワーを、もっと自分の好きなことに向けたいと思っています。自助グループで仲間をみると、みんなそれぞれ辛い人生みたいです。辛さは量れません。比べられません。
 自助グループで傷つかれたんですって。あれって、気の向くときに、生きたいところに行けばいいのじゃない。摂食障害のミーティングだけじゃなく、いろいろあるし。いろいろ行ってみたら? 居心地の良いところがきっと見つかると思いますよ。  (1999.春 退院間近のMさん)
 Mさんは、この手記を書かれた後すぐに退院し、その3カ月後に急死されました。慎んでお悔やみ申し上げます。(院長)
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仲間のメッセージ 「とりあえずだらだら生きています」
 私も摂食障害になって、10年以上になります。まだ情緒不安定ですが、今はもう過食も拒食もしません。十代の拒食の時、行動療法を受けました。体重は戻っても心の方がついてゆかず、とても辛かったです。その治療の後、私は家庭内暴力娘になりました。いろいろな治療の末に、今はある自助グループで仲間に恵まれ、それなりに過ごしています。皆優しくて、以前よりは楽しい毎日です。でもあなたの場合には、自助グループでも傷つかれたのですね。さぞ辛かったでしょうね。自助グループには、いろんな方がおられるから、苦手な人に悩まされるとか、そういうこともありますよね。どうしたら良いのでしょう。
 人が聞いたら怒るかもしれないけれど、私は、(死ぬのもめんどうだから)とりあえずだらだら生きている、という感じです。こんなんじゃいけないのでしょうか。
 少しでも楽なお気持ちになられるようにお祈りしています。もしこのお手紙で嫌な気持ちになってしまったらごめんなさい。  (1999.夏 H.R.さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「どんなときにもひとりじゃないんだよ」
 こんにちは、私もあなたと同じ摂食障害です。私も3年くらい前までは、あちこちの精神科に入院したり通院したりしていました。人と会うことも、人と話すこともほとんどなく、毎日、「死にたい」、「なんで生きているんだろう」などと考えていました。家族と一緒に暮らしていたのですが、心のなかはいつもひとりぼっちでした。「どうにかしなければ」と必死に必死にもがいていましたが、どうすることもできず、どんどん苦しくなるばかりでした。そんなある日、「病院に行ってくる」という母に、軽い気持ちでついて行った場所がホスピタルでした。その時の私は、まず第1に回復を、そして第2に治療スタッフや仲間のことばを、信じることができませんでした。それでも、他にすることもないので入院してみました。ホスピタルで過ごしているうちに、2つのことが少しずつ少しずつ信じられるようになりました。またミーティングに出るうちに、いろんなことに気づいたり、仲間から希望や勇気など、いろんなものをもらったりしました。まだまだ回復途上ですが、前よりはずっと楽です。いま、私のなかでとっても大切になっているメッセージ、それは、「どんなときにもひとりじゃないんだよ」ということです。  (1999.夏 T子さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「どんな方法ででも生きててください」
 回復途上のtokotokoです。私は、摂食障害、AC、情緒不安定ということで、入院していました。病院で出会った仲間と”なんかやんなっちゃったなあ”といい合いながら、時を過ごしています。何かのきっかけで、自分の親のことを思い出すたび、怒りが止まらなくなって、どうしようもなくなっちゃうんですけどね。今は、”それはそれでいい”という雰囲気をもらってます。摂食障害のある仲間と話していると、なんとなく落ち着いちゃったり、笑っちゃったり、ある時は泣いちゃったりなんかします。何を伝えたらいいのか、正しいことは、はっきりわからないけれど、・・・。どんな方法をとってもOKだから、生きててください。  (1999.夏 tokotokoさん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「自助グループは、注射のようにはすぐに効かないけれど、・・・」
 私も摂食障害で、何度か死のうとしました。そのたびに「時が解決してくれるよ」という、先行く仲間のことばを思い出して、今日まで生きてきました。自助グループは、注射のようにはすぐに効かないけれど、辛抱強く通っていれば必ず役に立ちます。私も3年通って、今は本当に自助グループの良さが分かるようになりました。仲間から癒されています。自助グループの効果を信じて良いと私は思います。  (1999.夏 T.S.さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「すぐに人が信じられなくてもOKです」
 中学1年から22歳までの10年間、摂食障害で不登校とひきこもりをしていました。ミーティングに出始めてから回復に向かって動き出しました。入退院の3年間を経て、この2年間は一人暮らし、入院なしです。拒食過食の繰返しの10年間、私は感情を失って寂しさを感じることもできずに、ただロボットのように動いていました。周りの誰も信じられず、そんな自分を責めながら、ただ感情を殺して生きていました。治療につながって、本当にとてもゆっくりだけど、少しずつ少しずつ、人が信じられるようになってきました。仲間や病院の人たちの助け、小さな出来事のつみかさね、そして長い時間のおかげだと思います。いま私は、失っていた自分の感情を取り戻しました。その分、嫌なことも多いけど、「まあこんなもんか」と思えるようになりました。

 仲間も私も、生きていて連絡が取れる人は、長い目で見るとみんな回復しているからでしょうか、証拠は何もないけれど、「生きていれば何とかなる。大丈夫」と思うのです。すぐに人が信じられなくてもOK、すぐに回復しなくてもOK、「生きていればOK」です。私が18年かけて分かったことはそのことです。院長先生は「価値のある人生哲学だ」と言ってくれます。あなたが少しでも楽に幸せに生きられることを祈っています。  (1999.秋 Yさん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「とりあえず出だし好調です」
 過食嘔吐の地獄の10年間、私も何度も死を考えました。過食の衝動は入院してもやってきました。入院前は、どうせ私はくじけちゃうと弱気でした。でも試しに美しい山々や花を眺めながら病院の周りを散歩してみると、普段気が付かないものをみつけたりしてすがすがしい気分になり、そんなことをしているうちにいつの間にか過食の衝動は消えていました。こんなに簡単で良いのかしら、と思うほど平穏な1週間でした。今まで自分の殻に閉じこもっていた私も、少しずつ心を開いて、今は仲間のあたたかさを感じています。結論を出すのは早すぎるけど、とりあえず出だし好調です。  (1999.秋 Tさん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「病気になっていろんな事に気づけたし、良かったかなとまで思うんです」
 私も摂食障害になって10年近くになります。この間に短期間の入院を繰返しましたが、最近2年間は入院なしです。子供の頃から自分のことが大嫌いで、自分を責めてばかりいました。この世から消えてしまいたいとずっと思っていました。家出、万引き、異性関係、大量服薬、命がけの過食や拒食、・・・。ずっと自分を傷つける生き方をしてきました。完璧になれない自分を許せませんでした。

 今でも、「あー、私って未熟だな」と思うし、症状も完全に止まったという訳ではありませんが、一人で閉じこもっていた期間が長かったのでこんなもんかな、と思えるんです。自分でも不思議です。あれだけプライドの高かった自分から、「まっ、いいか」という言葉が出るなんて。時間はかかったけれど、病気になっていろんな事に気づけたし、良かったかなとまで思うんです。本当です。何よりあれほど孤独だった私が心を開いて人と話せるようになりました。私はいま、一人暮らしをしています。時々調子が悪くなるけど、おしゃべりしていると治ってしまうくらいですから大したことはありません。今日も知人と会っておしゃべりをしてきました。そういう時間を大切にしたいと思っています。話してみないと、人って何を考えているかは分からないものですね。一緒にやっていきましょう。  (1999.秋 M.S. さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ(家族) 「治療していない娘も改善中です」
 摂食障害の娘を持つ母です。私の娘も精神病院への入退院を繰返し、目下は家に閉じこもっています。わたし自身は、その間も赤城の家族ミーティングに通い続けています。ここでは、いろいろな問題を持つご家族が参加していますが、そのそれぞれの難問に先生方やスタッフは驚くほど適切なアドバイスをくださいます。そのおかげで、わたし自身も落着いていろいろなことが考えられるようになりました。また自分の娘のことがよく理解できるようになりました。不思議なことに、私の安心感が娘にも伝わるようで、直接には治療していない娘の言動にもあきらかな改善が見られます。あんなに険しかった親子のコミュニケーションが、いまは嘘のようにおだやかです。最近、娘は3食をきちんととるようになりました。7年ぶりのことです。(1999.秋 R.I.さん) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「むちゃ食い障害を知っていますか」
 私は赤城高原ホスピタルをインターネットで知りました。実は私はものすごく肥満体で、何度もダイエットとリバウンドを繰返し、無気力、投げやりになっていました。院長と何度かメールをやり取りして、入院予約をしました。アルコール専門病院なので摂食障害だけでは入れませんが、私の場合は幸運(?)にもアルコール乱用もあったので入院できました。

 入院して初めて、自分が摂食障害だったんだと分かりました。「Binge Eating Disorder (むちゃ食い障害)」というのだそうです。これはむちゃ食いを繰返すが、自発的嘔吐や下剤乱用などの不適切な代償行為をしないタイプの摂食障害です。通常ひどい肥満体になります。日本人には比較的少ないタイプだということです。病気だと教えられた時は正直言ってショックでした。入院直後は状況にもなじめず、1日をどう過ごしたら良いか分からずつらい思いもしました。でも入院1カ月目の今は、友達もたくさんできて、散歩をしたり、体育館で運動したりと、対人関係も時間の使い方も上達しました。禁酒はもちろんですが、間食をやめ、ジュース類のがぶ飲みをやめて、ただ皆と同じ食事を取り、健康的な生活をしているだけで、なんと12kgも減量して、2ケタの体重になりました。環境が良いのと、どこに行くにも歩くしかないというのが身体のためにはいいようです。それに外では恥ずかしくてできなかった行動や話が、私と同じように助けを求めてここに来た仲間とならできるという安心感も私にとって良かったみたいです。治そうという努力が自然にできるようになりました。もうしばらくここで頑張ってみようと思います。(1999.秋 Aさん、以上は入院中のレポート、以下は退院2カ月後のメール)

 先生お元気ですか? 私は退院してからも順調で、体重はその後も減ってます!退院後、お母さんといろんな話をしました。子供の頃からの話や病院での出来事など、今まで話せなかった事も含めて。母とこんなに素直に話したのは生まれて初めてでした。入院生活をしてて、体の回復だけでなく、自分の心の中の事も色々知ることができました。家庭環境が私の病気に大きく影響していることも初めてわかりました。本当にありがとうございました。 [TOPへ]


仲間のメッセージ  「あなたが生きていることを喜んでいる人間はここにもいます」
はじめまして。インターネットで「摂食障害」を検索していてこのページをみつけました。私も高校一年生のときに拒食症になり、半年くらい病院に通院して体重が回復しました。今は大学で心理学を学んでいます。将来は臨床心理士として摂食障害の治療にたずさわりたいと願っています。私の場合は幸運にも比較的短期でしたが、そのあと大学在学中にアルコール依存になりかけたりしました。こういう私ですから、現在病気の方のメールを読むと心が痛むと同時に、このホスピタルの存在に救いを感じています。ご病気の方々にも、何か言葉をかけたいですが・・・、一言だけいうなら、あなたが生きていることを喜んでいる人間はここにもいます、とどうかお伝えください。(1999.秋 SさんのEメール) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「たった1週間で退院しましたが、多くのものをいただきました」
入院前は、対人恐怖と被害妄想で、他人の目から逃げるように家にひきこもり、過食嘔吐に明け暮れていました。心の中は罪悪感と後ろめたさでいっぱいでした。

入院して、仲間の話を聞いて、自分でも話しているうちに、不思議に心が落着いてきました。症状は私の一部で、隠す必要なんかないんだ、と分かってきました。たった1週間で退院しましたが、ホスピタルで多くのものをいただきました。具合が悪かったときに励ましてくださった看護婦さんたちに感謝しています。

 退院後の私は、ひとりで外出しています。自信を持って上を向いて歩けるようになりました。今は元気ですが、心が疲れたら、また入院させてくださいね。  (2000.03. MTさんからの手紙) [TOPへ]


仲間のメッセージ 「親の私にできることは、家族会に参加しつづけることです」
 4年前、ガリガリの娘をかかえ、摂食障害の知識もなく、治療も分からず、途方に暮れていました。娘の場合は、周りを巻込み、振り回すタイプでした。本人の妹と私はむりやり食べさせられて、家族全員がパニックになっていました。私が家族会につながって数カ月後、娘はやせてフラフラの状態でホスピタルに入院しました。

 いま娘は、体はもちろん、精神的にも丈夫になりました。あんなに苦手だった対人関係もよくなり、社交的で、自己主張もします。親の私にできることは、娘の回復を信じ、自分自身の成長のために、家族会に参加し続けることだと思います。      (2000.1. K.O. さん)   [TOPへ]


仲間のメッセージ 「before、after の写真にだまされて300万円つぎ込みました」
 18歳の時から22歳の現在まで、補正下着(50万円、親の承諾が必要でした)、耳ツボDIET(40万円)、健康食品(30万円)、エステ(50万円)、自然食合宿プログラム(100万円)などなど、300万円をつぎ込みました。例の before、after の写真を見るとついつい申し込んでしまうのです。このうちエステについては、無料モニター募集中というチラシにひかれて行ってみました。だけど、「無料モニターは今までにダイエット経験のない人に限らせていただいています。でも、今なら特別割引の枠が数名だけ残っています」という言葉にだまされて契約してしまいました。お金持ちだったわけではありません。貯金を取り崩したり、クレジットローンを組んだり、父に内緒でハンコを押したりでした。残ったものは、過食習慣とアルコール乱用、前よりひどい肥満体、そして借金と挫折感だけでした。誰も病気だとは言ってくれませんでした。このホームページを見つけて、自分から入院してきました。驚いたことに、ホスピタルで、ミス・エステ・クイーンになったことがあるという人に出会いました。絶食に近いダイエットで体重をむりやり落とし、クイーンになった直後から過食嘔吐になり、2カ月後に入院したとのことです。              (2000.4. S.さん)   [TOPへ]


仲間のメッセージ [ごくごく平凡に、ただただ普通になりたかった」
 院長から「同じ病気の仲間たちに向けてのメッセージを」と言われ、書かせていただきます。なんだか照れます(^_^;)

 摂食障害になったのは16歳の頃です。年頃の女の子なら誰でも経験するような、なんとなく始めたダイエットがきっかけでした。ただ、人一倍頑張り屋で、挫折を許せなかった私は、ダイエットも徹底的に頑張って頑張って、それと共に体重も減り続けていきました。結局、164cmの身長に対し、最低体重が29〜30kgになってしまいました。それでも入学した高校を、ふらふらの状態で、留年までしてなんとか卒業しました。

 拒食だけでなく、過食時もあり、痩せていたときの倍くらいに太った時期もありました。野菜とヨーグルトだけの食事にしたり、ひととおりの悪あがきをしたけど、もがいてもどうにもならず、体力、気力ともに限界に達し、高校卒業後に最後の願いをかけて赤城に入院しました。

 入院は1年ほどでしたが、同じ悩みを抱えた仲間と出会えて、その悩みを共感し合え、得られたものは大きかった、、、。
 今は摂食の症状も消えて、バイトも2年目、元気に過ごしています。病気の時、あんなに求めていた「ごくごく平凡に、ただただ普通に」という生活が現実になってます。
 今、私はとっても幸せです。この病気は回復します。

 色々な経験をしてきた私に言えることは、仲間と出会うことが大切だということ。そして、親御さんたちも希望を捨てず、一緒に頑張ってあげるということだと思います。

 なーんて偉そうなこと言ってしまった(笑) 先生、この文読んで笑ってるかもね(*^_^*)
 またメールします。悩んでるみんな、一緒に頑張っていこうね☆彡 (2004.1. 24歳、Mさん)   [TOPへ]


仲間のメッセージ [過食も無し、リスカもなしで、元気いっぱいです」
 院長先生、こんにちは、○○○○です。って言っても、私のことを覚えてはいないと思いますが、・・・。摂食障害と自傷・自殺行為のため、1年半前、ホスピタルに約1ヵ月入院していました。おかげさまで、その後の経過は良く、今は過食も無し、リスカもなしです。アルバイトですが、元気いっぱいで働いています。

 今日の日曜日、久々に病院に遊びに来たのですが、知っている患者さんはほとんどいませんでした。でも看護婦さんにも会えたし、懐かしい場所に来られて良かったです。

 退院の時、具合が悪くなったらすぐに再入院します。多分また来ます、とお約束したのですが、再入院は必要なさそうです。入院じゃなくてまた遊びに来ます。まだまだ暑い日が続きますけど、体調に気をつけて、お元気で。(2008年夏 20歳、ETさん)   [TOPへ]


仲間のメッセージ 「摂食障害の男性です」
 30代前半の摂食障害の男性です。5年くらい前から過食が始まり、最初は飲酒をした時のみ過食をしていましたが、次第に習慣化し、3年程前からは平日の夜や休日の朝から過食をするようになりました。1年前に仕事も辞めざるをえなくなりました。

 10ヵ月前、一人暮らしをやめ、実家に帰って両親と暮らすようになりましたが、そこにも居場所を見つけることができず、環境の変化とストレスのため、過食はエスカレートしました。3ヵ月前からは一人で部屋に閉じこもり飲酒と過食を繰り返すようになりました。私は過食をしても吐けないタイプなので体重はあっという間に20kgも増えました。最近では飲酒も過食も自分では全くコントロールができなくなり、ついに赤城高原ホスピタルに入院しました。

 入院当初は自分がなぜここにいるのか、1日をどう過ごせばいいのか全くわかりませんでした。また男性の摂食障害患者が私だけであったため、入院後4−5日は、入院生活にも、他の患者にも、環境にもなじめず、不安で胸がはりさけそうでした。ミーティングもただの苦痛でしかありませんでした。

 しかし、ここにいる人は皆、苦しみや悩み、過去のトラウマ体験や心の傷を持っています。こちらが心を開いて話をすればすぐに共感の輪が広がり、偏見の目で見る人など誰もいません。次第に他の患者とも話をするようになり、入院生活にもなじめるようになりました。

 この病院で何より私が気に入っているのは周辺の自然環境です。病院から少し足を伸ばせば眼下に渋川の町並みが望め、榛名山、子持山、今では雪をかぶった谷川などの山々も見渡すことができます。病院の裏にはゴルフ場の周りを巡る散歩コースがあり、そこでは誰の目も気にせずに大手を振って歩き、腹の底から声を出し、気持ちの良い汗をかく事が出来ます。

 午前中に緑の下を歩き昼食後は誰に咎められる事なく昼寝、そして読書。夕方に体育館で少し汗を流し、その後夕食。話がしたければ仲間がいつも周りにいる。嫌な事や腹の立つ事が殆どありません。

 入院して3週間が経ちましたが、次第に心が落ち着きを取り戻している事を感じます。不思議な事に入院して以来、過食欲求が全くなく、自分が過食症だという事を忘れてしまいそうです。

 もちろん病気が回復するには、これから先、まだまだ気の遠くなるほどの時間が必要かもしれません。しかし、今回入院した事で両親が摂食障害を理解しようと努めるようになりました。私自身は同じ病気を持った多くの仲間に出会う事ができました。そして一時でも過食の苦しみから開放され、心と体を静養する事ができました。

 この入院体験は自分にとって本当に意味があり、摂食障害の回復にとって、また今後の人生にとってに必ずプラスになると思います。勇気を出して一歩を踏み出して入院し、最初の1週間を逃げ出さずに耐えた自分をほめてあげたいです。(2000.11.)  


熊さんホットケーキ作り院長からのメッセージ  「回復者10人に会ってください」
 痛々しくて、どういうふうに慰めてあげたら良いかわかりません。私たちは、摂食障害の方をなるべく傷つけないでいたいと思っていますが、正直に言って、全く傷つけずにすむ自信はありません。実のところ傷つけてばかりです。でも現在、私たちの周りには、あさこさんや Y.K. さんのような、経験者、回復(途上)の方が大勢います。私たちの治療ネットワークのどこかにつながっていれば、彼女たち(男性もいます)に会えます。回復者10人くらいに会えば、誰でも、「時間はかかるが、治療を続ければ、みんな回復できる」ということばが信じられるようになると思います。   [TOPへ]


ご連絡はこちらへどうぞ ⇒ address
または、昼間の時間帯に、当院PSW(精神科ソーシャルワーカー)にお電話してください ⇒ TEL:0279-56-8148

AKH 文責:竹村道夫(初版: 99/3) 


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