【窃盗症家族プログラム,体験報告 】
(改訂 17/02/07)
★ 以下は,2016年10月に窃盗症家族プログラムを受けた方(窃盗癖のある20代女性の母親)の体験レポートです。当人のご承諾のもとに転載させていただきました。
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私は,窃盗癖の20代娘を持つ母親です。娘は,幼少時からコミュニケーションが苦手で,家庭外では極めて無口でおとなしい子供でした。軽度知的障害を指摘されていましたが,成人してなんとか就職できました。ところが,勤め始めて数年を経過したあたりから,職場で入手したと思われる小物がポケットやバックに見つかるようになりました。万引きも始まりました。物を盗る衝動が治まらない娘は,どこに行っても迷惑を掛け,徐々に行き場を無くすようになりました。
その後,娘は職を辞し,治療に専念することになりました。双極性障害という診断を受け,県内の数か所の医療機関を受診し,いろいろな施設で支援を受けました。多くの方々のご協力を頂き,様々なプログラムを試行錯誤的に受けましたが,娘の盗癖は治まるどころか,だんだんと深刻化してきました。窃盗行為は大胆になり,トラブルが頻発し,終に警察のお世話になるようになりました。
当初は,遅すぎた反抗期かとも思われました。「(母である)私のせいでこんなところにまで(症状が)きてしまった・・」。「あんなに優しかった娘は別人になってしまった。どれほどの生きづらさを一人で抱えてきたのだろう,・・」。「反抗期なら,時期が来れば回復するはず」。そんな思いがいつも私の胸にありました。しかし,入退院を繰り返すものの,一向に回復の兆しが見られない娘の盗癖を見ているうちに,私は,いつか聞いた「クレプトマニア」という精神障害を思い出しました。
窃盗癖の治療で有名な赤城高原ホスピタルの存在は以前からマスコミやネットで知っていましたが,私の住む九州からはあまりに遠く,東京ですら一人で行ったことのない私には雲の上の存在でした。しかし,娘の将来を思うと死ぬに死ねない気持ちになり,「これ以上先送りして後悔したくない」という思いに駆られるようになりました。「他に方法がないのなら,赤城高原ホスピタルへ行くしかない。群馬へ行こう」。やっとの決断です。
今回は,別の病院に入院している娘を置いて,ひとまず私一人が群馬へ行くことにしました。赤城高原ホスピタルに電話して,三泊四日のショートステイを予約しました。行ってみると,院長先生との面談のほか,プライベートメッセージや家族会,退院患者との交流会など,ぎっしりとプロブラムが組まれていました。プライベートメッセージというのは,常習窃盗のため治療中の入院・外来患者の方々からお話を聞くプログラムです。一人40分の時間を頂き,1対1で直接,お話を伺います。院長先生は,窃盗症治療の中でも,とくに重視しているプログラムだ,と言っておられました。初日に4人の患者さんから体験談を聞いた私は,友人に,「とても遠かったけれど,ここに来た価値があったよ」とメールを送信しました。結局,3日間で,10代から40代までの男女,10人の当事者からお話を伺うことが出来ました。
患者さん方は,みんな自分の役割を懸命に演じ,期待に応えようとしてきた優しくて真面目な人達に思えました。自分の娘と重なって,とても身近に感じました。初対面の私に過去の犯罪歴や病歴を赤裸々に話してくださる姿に,私までも心の底にしまい込んだ重いしこりが溶けて軽くなっていくようでした。
仲間の力でここまで回復できた,という患者さんたち。娘も,ただ仲間が欲しくて,共感してほしくてもがき苦しむうちに,自分も他人も傷つけ,ここまできてしまったに違いない。何回もの挫折を味わいながら,それでも回復に立ち向かって努力している彼女,彼らに娘を引き合わせたい,と強く思いました。
クレプトマニアの治療に尽力されている先生やスタッフの方の温かい,誠実な対応には,感謝するばかりです。私の経験では,多くの患者を診てきたからこその専門的なノウハウはここにしかありません。勿論,まだまだ回復への道は遠いことでしょう。でも,五里霧中の状況に一筋の希望の光が見えてきました。ここが最後の砦になるかもしれない。一縷の望みに賭けたい。そんな思いを抱いて,群馬を後にしました。「やっぱり人は一人では生きていけないんだよ」。何人かの患者さんから聞いたそんな言葉がどこかでこだましました。(2016年10月) [TOP]
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文責:竹村道夫(2016/10)